コクーン歌舞伎「夏祭浪花鑑・長町裏の場」の雪駄

四代目店主 富田里枝です。
上演中の渋谷・コクーン歌舞伎「夏祭浪花鑑」を観てきました。
浪花の市井の人々を描いた歌舞伎の人気演目で、コクーン歌舞伎の串田和美さん演出では2度目の上演となります。

歌舞伎の世界での「草履打ち」

物語の詳しい説明はここに書きませんが、この物語では「雪駄」が重要な小道具となっています。

「長町裏の場」で、魚屋・団七が、欲に目がくらんだ舅・三河屋義平次に悪口雑言を浴びせられた揚句、雪駄で眉間を割られ、「こりゃこれ男の生き面を…」とそれでも辛抱するが、最終的には義平次を殺してしまいます。

草履で打たれる=「草履打(ぞうりうち)」と称されます。
歌舞伎の世界では、ふつうにぶたれるのと違い、人としての矜持を踏みにじる侮辱の表現です。
『加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』という芝居では、意地悪な局(つぼね)岩藤が、並み居る奥女中たちの前で、若い尾上に草履を振り下ろす、有名な「草履打」の場面があります。

「夏祭」では団七が義平次の雪駄で打たれて額から血が出るのを見て、ついに堪忍袋の緒が切れるのですが、男伊達の団七にとっては男の面子にかかわる恥辱なわけです。

江戸時代から雪駄は高級品だった?!

強欲な義平次が、団七の雪駄を見て「おのれは大層な物をはきよるな。この親はこの歳になるが藁草履しかはいたことがないのに」というセリフがあります。

二束三文という言葉があるくらい、藁草履は庶民が履く日常的な安い履物でしたが、雪駄は当時もかなりの贅沢品でした。
現在はゴム底やウレタン底も雪駄と呼ばれますが、本来は竹や籐で編んだ表(おもて)に堅い牛革の底裏…象皮(ぞうひ)と呼ぶ…を貼り、馬蹄型やテクター型の鋲を打った踵を付けた履物です。
江戸時代は尻鉄(しりがね)という鉄製の踵を付けていて、歩くとチャラチャラ鳴るところから、チャラチャラした男=粋がった奴、の語源となったらしいです。
鉄の踵で額をぶったら、そりゃあケガしますよね!

「履物豆知識 雪駄とは」
https://getaya.jp/knowledge/knowledge_setta/

江戸時代の雪駄についてはウェブサイト「雪駄塾」で塾長が詳しく説明されています。
http://settajyuku2.blog.fc2.com/blog-entry-60.html

「ベタガネ(尻鉄)」について書いたブログはこちら
https://getaya.jp/blog/20201109/

雪駄が証拠品に

ついに義平次を殺してしまった団七は、宵宮の祭の群衆に紛れて立ち去りますが、そこへ友人の徳兵衛が現れ、団七の雪駄を拾います。
二幕目では、義平次殺しの下手人が団七であることを確信した徳兵衛は団七を逃がそうとするのですが…

コクーン歌舞伎「夏祭浪花鑑」。
団七演じる勘九郎さんの躍動感、素晴らしかったです。
この演目、串田和美さん演出で観るのは、私は初めてでしたが、音や光の使い方を含め串田さんらしい舞台、感染対策でいろいろ大変だったでしょうけれど、大満足でした。

こちらはパンフレット。

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