変わりゆく街…上野、浅草

四代目店主 富田里枝です。
昨夜、上野~湯島を結ぶ仲町通りで行われた野外パフォーマンスがありました。
森鴎外の小説「鴈」を基にしたパフォーマンスで、演者は若手オペラ歌手の二人。
「アートアンドスナック運動」という地元と藝大・東大のコラボレーションプロジェクトの一環だったようです。
先日、出演者の衣装用に駒下駄を買いに来てくださったので、興味をそそられて見てきました。
https://www.ikenohata-nakacho.com/

池波正太郎の小説にも

仲町通りというのは着物好きの憧れ「組紐道明」がある通り。
かつては花街があり、「関東大震災までは銀座よりもいいお店が沢山あった」といいます。
旧町名は「池之端仲町で案内板には「錦絵、竹作工、筆墨硯、袋物、茶をはじめとする店が立ち並び大変賑わっていた。中でも「錦袋園」(きんたいえん)と称する薬を追っていた薬屋は有名であった。これらの店が並ぶ道は、江戸時代から明治年間まで、上野と本郷を結ぶ道として賑わった。」とあります。

池波正太郎は著書の中で「そうした、小さくとも何やら由緒ありげな商舗が物しずかにたちならぶ通りで、池之端に面した側は、江戸時代の水茶屋が立ち並んでいた雰囲気もあり、その反対の南側は、下谷の芸者町という……私が少年のころは、まだ、そうした江戸のおもかげが、かなり色濃くただよっていたようにおもわれる」(池波正太郎『江戸古地図散歩』)と書いています。

道明、十三やなどの老舗も健在

美術学校(現東京藝術大学)と関わりのある横山大観や伊東深水などの芸術家たちもよく訪れていたようで、「道明」さんもサロンのような場だったそうです。

昭和30~40年以降、花街の衰退と老舗の立ち退きにより、往時の雰囲気はなくなり、現在は居酒屋や飲食店、スナック、キャバクラなど風俗店がほとんど。

派手な色彩の看板に埋もれながらも「道明」のほか呉服「藤井」、つげ櫛「十三や」、画材・書道具「心正堂本舗」、蕎麦「蓮玉庵」、鰻「伊豆栄」などの老舗が今も商いを続けています。

コロナ後の街はどうなるのか

街は時代とともに変化します。
地震や戦争があったことも大きいですが、2世代でまったく街の性格が変わってしまう。東京は交通網の影響も少なくないかもしれません。
浅草も戦前までは、東京で最先端の文化発信地でした。
当時のエンタテインメントは劇場や映画館だったから。
戦後、テレビの時代になると浅草は最新文化発信地としての役割を終えました。

今、インターネットの時代になり、浅草の風景が世界中に発信され、海外からの旅行者が続々とやって来る街となりました。
同時に地価が上がり、代々続けてきた老舗が次々と姿を消し、どこにでもあるような土産物、スイーツ店が増えました。
そしてコロナ禍。この先、浅草は、上野は、東京はどうなってゆくのでしょう。

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