第49回 「柘製作所」      代表取締役社長 柘 恭三郎 さん

柘さんはUSTREAM「煙管チャンネル」(http://www.ustream.tv/channel/kiseru-aostv)という番組に出演していらっしゃるのですが、初めてその映像を見た際、有松総絞りの浴衣をお召しになっていて、あまりのカッコよさに度肝を抜かれたのでした。
その独特な美意識は、じつは生まれ育った浅草と、コレクションされている浮世絵や古い写真の影響が大きいということを、今回お話をうかがって知ることができました。

四代目 富田里枝

 

 

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柘 恭三郎(つげ きょうざぶろう)

煙管やパイプなどの喫煙具類、たばこ(シガレット、葉巻、パイプたばこ、シャグたばこ、嗅ぎたばこ)、象牙製品などの輸入・製造・販売を行う「株式会社柘製作所」代表。
ドイツの組織「タバコ・コレギウム」が選出する「PIPE KNIGHT」の称号を持つ、アジアで唯一の人物。日本パイプクラブ連盟理事、シガーマスター講座講師、パイプコンフェリ会員。
http://tsugepipe.co.jp/  柘製作所ホームページ

 

 

職人連中が仕事終えると遊んでた、そんときの格好をしたいわけ。

四代目 富田里枝: 柘さんの帯、男性用の献上帯にしてはちょっと太いですよね。

柘 恭三郎: 帯源さんの、博多の献上を、仕立てをしないで半分に折っているんだよ。若い頃は帯源さんの帯を買えなくて、おふくろの半巾帯を使っていたこともあったよ。 昔の浅草の洒落者(しゃれもん)たちはさ、女物の兵児帯を締めてたんだよね。これだよ(…とモノクロの古い写真を見ながら)。

四代目 富田里枝: 古い写真や浮世絵をたくさん集めていらっしゃるんですね。

 

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柘 恭三郎: そうそう。こいつも洒落者だよね(…と別の浅草の古い写真を見て)。俺はこういうのに憧れるわけ。

四代目 富田里枝: 柘さん、古い写真の中に、洒落者をみつけるんですね(笑)。

柘 恭三郎: 「緋牡丹博徒」だとか「日本侠客伝」って東映の映画があるんだけど、20歳の頃、そういうヤクザ映画を見て、きものの着方も影響されたんだよ。高倉健とかさ。

四代目 富田里枝: へぇ~!

柘 恭三郎: 影響されたといえば僕が子どもの頃は、この辺りには職人がたくさんいたんだよ。職人連中が仕事終えると遊んでた、そんときの格好をしたいわけ。

四代目 富田里枝: いつ頃の話ですか?

柘 恭三郎: そう、小学生くらいかな。カッコイイなぁ、ああゆう大人になるんだって思ってた。浅草のブリ庄さんって、銅職人の格好に憧れてさ。

四代目 富田里枝: 当時の職人さんはどんなきものを着ていたんですか?

柘 恭三郎: やっぱり、唐桟とかさ。たいてい木綿の着物だったね。絹の着物だと、喧嘩が強そうに見えないからなんだって。

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四代目 富田里枝: 喧嘩!?

柘 恭三郎: 実際に喧嘩するわけじゃないんだけど、江戸っ子は意気と張りが信条だから。

四代目 富田里枝: 見栄っ張りの「張り」?

柘 恭三郎: いや、見栄っ張りとは違う。見栄っ張りだったら、絹の着物かなんか着ればいいんだから。太い帯もね、なんでだ?って聞いたんだよ。そしたら、ドスで刺されても入らないからだって。帯の下に晒し巻いて、さらにその下に新聞紙巻いてんだよ。仕事終わって帰るだけなのにさ。そういう人に限って、喧嘩したって聞いたことないね。

四代目 富田里枝: おもしろいですねぇ!今履いていらっしゃる足袋は短いけど、2枚こはぜですか?

柘 恭三郎: そう。やっぱり職人連中が履いてたんだよ。ほら、辰巳芸者って冬でも足袋を履かないで一年中、素足だったっていうでしょ。歩いてるときに、裾から素足がちょっと見えるのが格好いいってんだよ。

四代目 富田里枝: へぇ…。

柘 恭三郎: 職人連中は、お祭りの袢纏にも、いろいろ凝ってさ。袢纏の粋な仕立て方ってのが、あるんだよ。身幅を下に向かって細くすんの。帯を締めたときに広がんねぇんだ。

 

江戸っ子は帽子を目深(まぶか)にかぶるの。

 

四代目 富田里枝: なるほど! 柘さんもそうやって作ったんですか?
柘 恭三郎: いや、それは鳶の頭のやり方だから、俺はやんないけどね。袢纏の下も今はみんな、どんぶりとパッチだけど、あれは鳶の頭の装束だよ。

 

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四代目 富田里枝: うちにある昔の三社祭の写真を見ると、男の人はさらし巻いてますよね。

柘 恭三郎: そう、三社祭は夏祭りだから。さらしに袢纏か、浴衣なんだよ。袢纏も、旦那衆が着る袢纏は袂(たもと)があるの。背中に自分とこの大紋、裾(すそ)もようは入れない。

四代目 富田里枝: どうしてですか?

柘 恭三郎: 裾もようは職人の証(あかし)だから。うちも、社員の袢纏は裾もようが入ってて、綿なの。俺は、絹なんだ。社長だから!

四代目 富田里枝: アハハハ!鉄紺の、いい色ですね。

柘 恭三郎: 浅草は昔から、芸人も多いしな。やっぱり近所に、新内の師匠がいてね。長めの黒い着物に博多帯で三味線持って。職人達は短めに着るんだけど、その人はぞろりと長めに着るんだよ。あれにも憧れた。

四代目 富田里枝: 履物は覚えてます?

柘 恭三郎: 雪駄だったよ。雨んときは爪皮つきの下駄履いて。 (また古い写真を見ながら…)これとこれが、憧れのオヤジなの。帽子のかぶり方はさ、カンカン帽とか、ハンチングとか、江戸っ子は帽子を目深(まぶか)にかぶるの。関西は顔を出す。月亭八方なんか、そうでしょ。帽子の造りも違うんだよね。

四代目 富田里枝: そうなんだ!

柘 恭三郎: 西と東じゃ歩き方も違うと思うんだ。京都なんかは石畳が多いからさ、こっちみたいに踵出して突っかけて歩かないんだよ。

 

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四代目 富田里枝: 草履や下駄も、関西のほうが幅広ですよね。

柘 恭三郎: 江戸好みは見た目がすっきりしてるね。例えば着物でも、七五三、五分回しっていう身幅が狭い仕立て方があってさ、立った姿はカッコイイんだけど、今の生活ではちょっと実用的じゃないよ。

四代目 富田里枝: 江戸時代みたいに、褌で尻っぱしょりするわけじゃないですもんね。

柘 恭三郎: 赤い褌とかもね、持ってるけどさ、そこまで見せらんないけど。

四代目 富田里枝: アハハハ!持ってるんですか! 帯に付けてる鎖は、アクセサリーですか?

柘 恭三郎: これは、懐中時計を着物で使うときに使ったんだ。片方に懐中時計、もう片方に竜頭を付けて、それでねじを巻いたの。で、昭和に入ってバネ式になったから、竜頭は要らなくなって、チャームになったわけ。

四代目 富田里枝: 羽織からチラッと見えたときに「これなに?」って感じ。

柘 恭三郎: そうそう。自慢していそうで、自慢してない。こっちからさ、見て見て!なんて言いたくないんだけど、気が付いてもらいたい。

四代目 富田里枝: アハハハ。

柘 恭三郎: そのへんがね、芸者はわかるよね。

四代目 富田里枝: どこを誉めてもらいたいか、わかってる。

 

「張り」はタイヘンなんだよ。

 

柘 恭三郎: で、誉められるとまた行きたくなって、金つかわされちゃんだよね。たまらないよ(笑)。
例えば、笑いの(エッチぽい)柄の襦袢なんか着て行って、お酌しましょうなんて言われて杯を出すと、袖口から見えるじゃない。そうすっと芸者が、あらー柘さん、オイタなもの着ちゃって、なんてさ。それがおもしろいわけだよ。気がつかなかったら俺はそのまま帰るよ。

 

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四代目 富田里枝: うふふふ。

柘 恭三郎: 男のきものの場合、後ろから見たポイントって、腰回りだよね。今日の格好は真っ黒だから、これを付けると、赤がパッと目に入るじゃない。鶴頭(かくとう)っていうんだ。鶴の頭って赤いでしょう。

四代目 富田里枝: 履物でも、前坪だけ赤い、白の鼻緒を‘丹頂’と呼びます。もちろん、丹頂鶴から。 芸者さんはお正月に、黒の引き着を着て、丹頂の鼻緒に黒塗りの芳町下駄を履きます。台の足をのせる部分に名前を入れてあげるんです。

柘 恭三郎: へぇ~、そうなんだ。 (再び、違う帯を出してきて)これ、江戸時代、蔵前あたりの遊び人が吉原へ遊びに行くとき、締めたのが腹切り帯っていうんだよ。

四代目 富田里枝: なんですか、その腹切り帯って。
柘 恭三郎: 帯源さんに、ねぇのかって聞いたらないって言うんだよ。そいで、作ってもらった。どうして腹切り帯なのかっていうと…。

四代目 富田里枝: あ、着物も羽織も黒いから、赤い帯の部分がまるで…ほんとだ、腹切り!

柘 恭三郎: これで遊郭に上がって羽織を脱ぐと、赤い帯が現れて、派手になる。

四代目 富田里枝: 色っぽいですねぇ。

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柘 恭三郎: でしょう? あとは、江戸っ子の張りの表現としてさ、坪下がりの下駄の前を五分長くして作ってもらったことがあるんだよ、無理言ってさ。下駄履いて立ってる姿がカッコイイんだ。でも歩きづらい!

四代目 富田里枝: タイヘンですね。

柘 恭三郎: 「張り」はタイヘンなんだよ。

四代目 富田里枝: 痩せ我慢じゃないですか?

柘 恭三郎: 痩せ我慢するのが、いいんだよ。

四代目 富田里枝: 柘さんのお仕事である煙管なんかも、痩せ我慢文化に関係あったりするのですか? たとえば人が持ってないものが欲しいとか。

柘 恭三郎: そんなの、いっぱいあるよ。金煙管なんか持ってれば、高いなってわかるじゃない。そうじゃなくて、銅に金を混ぜたもの、四分一(しぶいち)。これなんか、金銀象嵌(ぞうがん)なんだよね。一見地味にみえるけども、よーく見ると凝ってるじゃないって。

四代目 富田里枝: 象嵌の部分は、象嵌の職人さんが作るんですか?

柘 恭三郎: そうそう。たとえばこの煙管を作るときに、「四分一で口金、継ぎは元禄で火皿は銀で作ろう」というふうに、うちが決めるわけだ。次に彫金の職人に持っていって、翁が酒飲んでる柄を彫ってくんない?って注文する。

四代目 富田里枝: なるほど。

 

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柘 恭三郎: 欧米では銀は磨く文化だけれども、日本ではさ、銀は「いぶし銀」と言う言葉が、人格表現で使われているほど、光っていないほうが上位なんだ。よーく見ると彫金で柄が入ってるって、いいじゃないの。で、羅宇の竹。江戸時代から箱根から沼津のあたりの竹で作ってたんだ。

四代目 富田里枝: どんな種類の竹ですか?

柘 恭三郎: 女竹(メダケ)。真っ直ぐじゃなくちゃいけないから。1年に1回、11月に伐採したものじゃないと割れちゃうんだよね。

 

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四代目 富田里枝: 茶勺みたい。

柘 恭三郎: そう、竹っていうのは、どんどん成長する春から夏にかけて水分をたくさん含んでいる。そういうのを乾燥させると、割れちゃうんだよ。一番雨が少ない11月に伐採して煮込んで、天日干しして、材料になるの。

四代目 富田里枝: なるほど。お芝居や浮世絵には、よく煙管が登場しますが、煙管のデザインの流行りとか、あったんでしょうか? 誰が使ってるあの煙管が欲しい、とか。

柘 恭三郎: あるあるある!それはね、お茶の世界から。光大寺とか如信とか、お茶の先生の名前なんです。

四代目 富田里枝: そういえば、お茶会で煙草盆、拝見しますねぇ。 歌舞伎なんかだと、女性も使ってますよね。花魁のとは違うんでしょう?

柘 恭三郎: そうだね、花魁のは赤くて長いからね。あれは格子からお客を呼ぶため。ふつうの女性は女持ち(めもち)煙管。女持ちの煙草入れとか煙管入れとか、小さいの。可愛いよ。これ、いいでしょう(…と煙草盆を出して)。

四代目 富田里枝: 煙草盆って、インテリアとしてもすてきですよね。

 

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柘 恭三郎: これはさ、戦前の遊び人が使ってたんだよ。芳町の芸者の旦那でさ、その子どもが僕の友達なんだよ。粋な男なんだよ。煙管の櫛形。これが灰吹き。これが火入れ。煙管はこういう状態で置いてある。 これ真っ黒でしょう。灰が白くて、赤い火が入るんだよ。

四代目 富田里枝: きれいでしょうね。

柘 恭三郎: そうでしょう!絵になるでしょう?一つの美意識が完成しちゃってるわけだから。お茶席でも火を入れないから、なかなか見れないけども。

四代目 富田里枝: 江戸の庶民は、もうちょっと質素なのを使っていたんですか?

柘 恭三郎: それはもう、大名から庶民まで、いろいろあるの。煙管だって、大名煙管とか、突っ張りが持つ煙管だとか、違うんだよ。煙管の持ち方も身分によって所作が違う。馬子だとか、商人だとか、武士だとか。

四代目 富田里枝: えーっ!そうなんですか。

柘 恭三郎: 歌舞伎ではそうやってるよ。実際、舞台でちゃんと吸うからね。こないだ落語会に行ったら、若い噺家がこうやって火つけてんだよ。「長短」って噺でさ。逆だろって。手ぇひとつでもってわかるわけだよ。

四代目 富田里枝: 噺家さんも、柘さん目の前にしてちゃ、演りにくいだろうなぁ(笑)。 今日はありがとうございました。柘さんの知識があまりに広過ぎて、とても一度じゃ聞ききれないです!

2012年12月4日 柘製作所にてインタビュー

 

 

すごいスピードの下町言葉で、話題が次々と展開し、付いていくのがやっとでした^^;
‘粋’なんて言葉を使ったら、「野暮だな~」って怒られそうですが、これぞチャキチャキの江戸っ子、下町の男! こういう男性がもっと増えてくれれば、浅草は、東京は、そして日本は、もっとおもしろくなるのに。

四代目 富田里枝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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