現代唯一の演歌師、岡大介くん
浅草寺の境内に、 添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)とその長男・知道の碑があります。
2人とも明治・大正期に活躍した演歌師です。
演歌といっても石川さゆりや北島三郎などの、情念や恋愛の歌ではありません。
当時、自由民権運動の活動家が街頭で演説に代わって歌で世間に訴えた「演説歌」がすなわち演歌。
庶民の生活、心の叫びを歌う演歌
元祖シンガーソングライター といわれる添田唖蝉坊は明治5年、神奈川県大磯に生まれ、青年時代に上京し壮士達が歌う演歌に出会います。
唖蝉坊は、政治や世相風刺の歌を次々と世に出し、流行歌として演歌を広めました。
日露戦争の頃に作った「ラッパ節」は大流行。
夏目漱石の『吾輩は猫である』には「それより英書でも質に入れて芸者から喇叭節でも習った方が遥かにましだ」という一文があります。
「貧乏でこそあれ 日本人はえらい
それに第一 辛抱強い 天井知らずに
物価はあがっても 湯なり粥なり
すすって生きている ♪ア ノンキだね♪」
(のんき節)
息子の知道も演歌師の道を歩み、ラメチャンタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ♪で知られる「東京節」などヒット曲を生みます。
現代の政治・世相風刺を歌う
そしてその流れを汲んで演歌を現代に再現しているのが岡大介くん。
カンカラ三線(米軍占領下の沖縄で空き缶とパラシュートの糸で作られた抵抗の楽器)を手に、庶民の心情を代弁する風刺を歌います。
居酒屋や福祉施設などに呼ばれて歌うことが多い岡くんですが、浅草の東洋館に出演することもあります。
また山谷の‘ドヤ街’でも毎年夏祭りで歌っていたりと、浅草とも縁が深いのです。
私が岡くんと知り合ったのは辻屋本店の近くにある「喫茶天国」というお店。
店長のルミちゃんと仲良しで、岡くんがたまに皿洗いを手伝っていたんです。
辻屋本店のイベント「あさくさ和装塾」にも出てもらったことがあります。
<第18回あさくさ和装塾レポート>
https://getaya.jp/eventguide/wasoujuku0823report/
童顔なのでいつまでも若く見える岡くんですが一昨年ついに結婚、パパになったそうです^o^
そして著書も出版!
『カンカラ鳴らして政治を「演歌」する』
吉田拓郎さんに憧れてフォーク歌手を目指した青年が演歌に出会う経緯や、大の唖蝉坊ファンだった小沢昭一さん、永六輔さんとの交流なども。
ご興味あったら是非読んでみて下さい♪
岡大介のお酒のめのめブログ http://blog.livedoor.jp/kankarasanshin/
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