第43回 たんす屋店長     川木幹雄 さん

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川木さんとは、あるイベントでお会いしたのが、インタビューをお願いしたきっかけです。その際、川木さんが東八拳を披露されて、それがあまりに見事なのにびっくり。聞けば、かっぽれや踊りなど、昔の旦那衆がやってたような習い事をいろいろなさっているのです。こんなユニークな人が近くにいたなんて!ということで、あらためてお話をお聞きして、さらに東八拳のお稽古場も見学してきました。

辻屋本店 四代目 富田里枝

 

川木幹雄(かわきみきお)

昭和25年、浅草田島町(現在の西浅草)生まれ。浅草で24年間、喫茶店を経営、その後、現職に。東八拳、かっぽれ等、日本の伝統芸能の趣味多数。男性の着物着付け指導も行っている。

 

 

ミイラとりがミイラになったって言われます。

 

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四代目 富田里枝: 路地を挟んですぐうちの向かいに、たんす屋さんがオープンしたのは何年位前でしたっけ?

川木幹雄: 4年になります。今の店の前は仲見世近くの店でした。その前に北千住、蒲田にいた時期もあります。

四代目 富田里枝 たんす屋さんはあちこちにあるけど、店長の移動もあるんですね。お店によって品ぞろえに特色がありますよね。

川木幹雄: 各地域の本部がまとめて仕入れて、店長はそれぞれ本部に仕入れに行くのです。うちなんかは男物が強いほうです。

四代目 富田里枝 なるほど。たんす屋さんの前はどんなお仕事を?

川木幹雄: 浅草の合羽橋の方で喫茶店を24年、やってました。

四代目 富田里枝 へぇ~っそうなんですか! あ、でも喫茶店のご主人って雰囲気ありますね。

川木幹雄: 古いモノが好きだったので、古伊万里や時代物の時計、着物なんかを飾ってね。店の前には暖簾を出して。当時はちょっと変わった喫茶店で、雑誌の合羽橋特集なんかあると、よく取材されました。

四代目 富田里枝 喫茶店から、たんす屋さんに。近いような、遠いような。

川木幹雄: 喫茶店をやめた時、たんす屋に転職した知人が、アタシが着物好きなんで店長にならないかと誘ってくれたんですよ。ちょっとお手伝いする位って気持ちだったのが、ずっと続いてしまって。

四代目 富田里枝 着物はやっぱり若い頃からよく着ていたのですか?

川木幹雄: 親が好きでしたからお正月なんかは必ず着てました。でもそれまで普段には着ることなかったから、たんす屋に入ったからには、着物を毎日着られるなと思って。よく、みんなにミイラとりがミイラになったって言われますよ。

四代目 富田里枝 やっぱり、いいものが入荷すると自分で買っちゃうんですか?

川木幹雄: 古布っていうか、ヴィンテージものが好きなんですよ。江戸縮緬とかって、いいじゃないですか。今のものにない肌触りで。ああいうのに当たっちゃうと、つい…。

四代目 富田里枝 たんす屋さんは、古いもの、アンティークものが入ってくるから、まさに水を得た魚ですね。川木さん、お生まれも合羽橋の近く、西浅草でしたよね?

川木幹雄: そうです。親父が寿司屋をやってました。浅草寿町の寿司屋に丁稚で入って修行して、自分の店を出したって言ってました。明治の人でしたから。

四代目 富田里枝 お父さん、怖かったですか? 明治生まれの寿司職人なんて、いかにも…。

川木幹雄: 怖かったですよ。食事のとき行儀が悪いと、樫でできた堅い箸の太い方でカーン!といきなりくるんです。

四代目 富田里枝 言葉より先に手が出る(笑)。ご兄弟は?

川木幹雄: 7人兄弟です。女3人、男4人。アタシはいちばん末っ子です。

四代目 富田里枝 賑やかですね! 当時は珍しくなかったんでしょうけど。お寿司屋さんの上に住んでいたんですか?

 

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川木幹雄: 裏に住まいがあって。家族に加えて職人が5人位、住んでましたからね。辻屋さんも店はずいぶん奥行きがありますよね。

四代目 富田里枝 うちは、昔は木造家屋だったんですけど、元々は料理屋の建物だったらしいです。二階に渡り廊下があった記憶がありますから、思えばそんな感じだったなぁって。父も5人兄弟で、やっぱり職人さん達も一緒に住んでたそうです。

川木幹雄: アタシも子どもの頃は、職人さんがよく面倒みてくれて、休みの日は遊びに連れて行ってもらいましたね。いっしょに隅田川の方へ遊びに行くと「幹ちゃん、ここで待ってなよ」とかいって女の子と会ってるの。

四代目 富田里枝 えー、じゃあダシに使われたわけ?

川木幹雄: そうですね(笑)。そしたらその女性はね、うちの姉たちにお三味線を教えてたお師匠さんだった。男の人と女の人って、そういうふうなんだって、子どもの頃から感じてました。

四代目 富田里枝 商家の子どもって、ませるんですね。浅草が娯楽の町だった頃は覚えてますか?

川木幹雄: 小学校に行く前くらいまでは、賑やかだったな。六区あたりで、人だかりがしていて、見ると女の人の写真を売ってる。いやらしい写真なんだなって子ども心に思って、買った人のを見ると、ブタのおっぱいの写真なの。

四代目 富田里枝 浅草ってそういう、いかがわしい物がたくさんあった、猥雑な町だったんですよね。

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川木幹雄: 筑波のガマの油売りとか。あれも見ましたよ。

四代目 富田里枝 やっぱり育った土地柄というのは大きいですよね。

川木幹雄: 近くからお三味線が聞こえてきたり、そういう環境でした。親が歌舞伎が好きで、休みのたびに親父が連れてってくれました。いつも辨松の弁当を買ってくれて、それが楽しみで。

四代目 富田里枝 末っ子だから、いちばん可愛いがられたんでしょうね。

川木幹雄: 「おまえが一番早く別れちまうから」って親は言ってました。でも遠足には、ひと廻り違ういちばん上の姉ついて来てくれました。母親は店で忙しいから。

 

昔はお座敷遊びって、旦那衆のお披露目の場だったわけです。

 

四代目 富田里枝 先日あるイベントで、俗曲師のうめ吉さんと、東八拳を披露してらっしゃいましたが、東八拳はどういうきっかけで?

川木幹雄: 実家の前のお菓子屋さん旦那さんに誘われて。その頃、能の謡も習ってました。観世流の。

四代目 富田里枝 始めたのは何歳頃なんですか?

川木幹雄: うーん、30代前半かな…。29歳で喫茶店を始めて、ようやくアタシがちょっとお店を抜けても大丈夫な状況になったのが、その頃ですね。

四代目 富田里枝 東八拳は習う前からご存じだったんですか?

川木幹雄: まぁお座敷芸ですからね。

四代目 富田里枝 お座敷遊びはよくされるんですか?

川木幹雄: アタシなんか、年に2回がやっと。去年、かっぽれの仲間が還暦で、お祝いしようってんで向島でね。

四代目 富田里枝 パーっと(笑)。

川木幹雄: そうそう、楽しかった~!

四代目 富田里枝 お座敷遊びができる男性が増えると、花柳界も賑やかになるのに。うちに草履を買いに来るお姐さんも、お客さんが遊び方を知らないから困っちゃうって。

 

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川木幹雄: 今のお客さんはただ見に来るだけ。昔はお座敷遊びって、お客がお三味線弾いたり、踊りを見せたりね、旦那衆のお披露目の場だったわけです。自分達の芸で芸者を遊ばした。

四代目 富田里枝 格好いいなぁ。川木さんも、東八拳の他にもいろいろ、多趣味ですよね!

川木幹雄: 今やってるのは、かっぽれ。梅后流です。それから地唄舞。新舞踊をやってたので、その流れで。

四代目 富田里枝 うちの祖父も芸達者だったみたいです。祖父のお葬式に芸者さん達がお焼香に並んで、びっくりしました。

川木幹雄: そういう旦那って、もういないですよね。その時代に生まれたかったな(笑)。

四代目 富田里枝 年2回の人が増えればいいんですよね。

川木幹雄: そうそう。アタシなんか、年2回のお座敷遊びのために、いろいろやってるわけです(笑)。

四代目 富田里枝 お座敷遊びがなくなったら、日本文化にとって危機かも!

川木幹雄: 着物もそうでしょ。どんな着姿がきれいで格好いいか、身近に着ている人がいないから、わかんないのね。

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四代目 富田里枝 女の子は、お母さんが着物好きってケースもあるけれど、男性の場合はお父さんが着物を着てるって、ほとんどないですよね。

川木幹雄: アタシはたんす屋に入ってから、男性の着つけ教室を始めたんです。

四代目 富田里枝 着付け教室に来る男性って、どういうきっかけが多いんですか?

川木幹雄: 海外赴任して、自分は日本のことを何も知らないと気づいたっていう人、けっこういますね。せめて着物くらい着られるようになりたいと。レセプションやパーティーで着物を着たいとか。

四代目 富田里枝 やっぱり、川木さんにとって当たり前なことも、知らなかったり?

川木幹雄: そうそう。腰紐をからげて結ぶってことができないんです。洋服はボタンとかファスナーだから。靴紐は結べるけどね。

四代目 富田里枝 重心が腰だっていうことも、体感しないとわからないでしょうね。

川木幹雄: 今の人って、パソコンやってるせいか、真っすぐ立たせても首が落ちる。着物は姿勢が大切って教えるんだけど。女性でもきれいだなって思う人は姿勢がいいですね。

四代目 富田里枝 耳が痛い(苦笑)。他に、着物を着たいなと考えている男性に、選ぶ際のアドバイスがあれば。

川木幹雄: そうですねぇ…。若い人は、パッと目を引く色柄を選びがちなんですが、最初から派手だと、変えようがなくなっちゃう。まずは落ち着いた色を選んだほうが、徐々に自分の好みにしていけると思います。

四代目 富田里枝 男性は半襟って、どうやって選ぶんですか? 女性はとりあえず白の半襟があるけど。

川木幹雄: アタシも一時は小紋なんか付けてましたが、半襟はやっぱり黒がいちばんおしゃれだなと思います。黒って、派手なんですよ。顔が明るく見えます。着物も映えるし。

四代目 富田里枝: それはいいポイントですね。参考になりそう。今日は楽しいお話ありがとうございました。

2011年9月15日 ローヤル珈琲店にて。

 

川木さんが所属されている「日本東八拳技睦會」の稽古場を見学させていただき、武藏野扇樂さんに、東八拳のイロハを教えていただきました。

東八拳のルールは、次のとおりです。行事を中心にして東西2名の拳士が正座して向き合い、互いに狐・庄屋・鉄砲の拳の「型」を打ち出し合います。 狐は庄屋に勝ち、庄屋は鉄砲に勝ち、鉄砲は狐に勝ちます。狐は猟師の鉄砲にかなわず、鉄砲を持つ猟師は庄屋さんに頭が上がらず、庄屋さんは狐に化かされてしまう、という三すくみです。 一方が一本、二本、三本と三拳連続して勝つと、一番の勝負が決まります。

東八拳の前身「豁拳」は江戸時代、清国から伝わり、長崎の丸山遊郭で普及したといわれています。主に酒席の末芸として旗本や武士、裕福な町人階層の間で盛んになりました。幕末になると、ルールが分かりやすく手軽に楽しむことができる東八拳が、職人衆や子供達の間に普及し現在の形になりました。 毎年、総当たり制の試合「星取会」が開催され、相撲のような番付が作成されます。

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