歌舞伎の舞台を歩く~ 柳島の妙見さま その二
落語にも所縁があるお寺です。
「中村仲蔵」という噺では、柳島の妙見様に願掛けを行う場面があります。
「仮名手本忠臣蔵」五段目の斧定九郎の役を与えられた仲蔵は、拵えを工夫しようとあれこれ考え、柳島の妙見さまに願をかけ日参します。
満願の日の帰り道、蕎麦屋で定九郎の新しい拵えを思い付き、それが大評判となるという話。
こちらは「昔はなし 柳塚」。剥落が激しいため建立年代や人名など読み取れません。
江戸時代、睦会と称して運営されていた落語は、明治17年、三遊派・柳派に分裂して覇を競っていました。(三遊派の記念碑は木母寺に建立されています)
大正6年に寄席が会社組織となり、300人余りの芸人が月給制度の下に統一されたため派閥は解消。統一に反対する150人の芸人が睦会を結成して対峙しました。(以上、墨田区教育委員会の説明文より)
いちばん奥は、六代目文治碑。
「桂家元 故六世文治之碑 江戸落語の名家文治翁の碑の成り立ちを喜びて 名に残る芝居噺や涼ミ台 三代目柳家小さん」
寺務所2階の客殿には、葛飾北斎の錦絵や、岸田劉生、棟方志功などの名画を展示していますが、現在はコロナ感染拡大により閉館しています。
毎月1日の「妙見さま大祭(ご縁日)」には見学できると表記ありましたが、直接お寺にご確認ください。
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