浅草芸者 乃り江さん

浅草生まれ、浅草育ちの芸者さん

 

先日、浅草芸者、乃り江さん20周年の御祝いの宴がビューホテルで盛大に開かれました。

乃り江さんは浅草生まれ、浅草育ち。
英語、中国語も堪能、最近はメディアに登場することも多く、
地元の旦那衆を始め、舞踊・邦楽など伝統芸能関係、政財界から芸能界まで総勢200名ものお客さま、乃り江さんの人脈の凄さにはあらためて驚きました。

東京藝大出身の皆さんの「翁千歳三番叟」からはじまり、四国や北陸、東北の各花街から駆け付けた芸者さん達の踊り、主役の乃り江さんを囲み浅草芸者衆の踊りや幇間の芸など、素晴らしい舞台に時を忘れて楽しませていただきました。

 

乃り江さん、友人のYさんと。

 

浅草芸者のあづはさん、千乃さん、紫沙さん。
私の隣は日本舞踊・宗山流家元の胡蝶さん。

 

高度成長期の頃、旦那衆の遊び方は

 

その話を父に報告していたら、乃り江さんのお祖母ちゃんの話になりました。
初代の乃り江さんは笛の名手として鳴らした芸者でした。
父は浅草寺の行事「金龍の舞」の第一期生だったのですが、初代乃り江さんも同じ頃、「金龍の舞」の笛を吹いていたとか。
その頃は笛の乃り江さん、三味線の太郎さん、そして踊りの金魚さんが浅草芸者の三羽烏として有名だったそうです。
私の祖父はずいぶん観音裏で遊んだ人で、その三羽烏の芸者達を連れて熱海までハイヤーをとばし、熱海芸者の三羽烏、紅梅、吉奴、君名を「小泉」という待合いに待たせておいてお座敷をあげたこともあったとか。
父が、いくらかかった?と聞いたら祖父は「乃り江に財布預けてたからわからないけど、それほどかからなかった」と言っていたそうな。
私が生まれる少し前、高度成長期の花街も賑やかで、うちの商売がまだ儲かっていた頃の話です。
初代乃り江さんはまだ若い時に置屋をはじめて、豚カツが名物の料理屋もやっていました。
店を贔屓にしていたアナウンサーの高橋圭三さんが「豚笛」と名付けたそうです。
当時の花街には、芸者さんが出した小料理屋が何軒もあって、「豚笛」の隣は「杉」といううどんすきの店で、父の親友が「杉」の娘と結婚したこともあり(その親友のお母さんは春千代といって浅草でいちばん綺麗だったそう)、私も子どもの頃に「豚笛」や「杉」に連れて行かれたのを覚えています。
私が母のお腹にいる暑い夏の盛り、祖父が「暑いから豚カツでも食べに行こうや」と言って父と母を連れて「豚笛」に入ったら、冷房がかなり効いていて、乃り江姐さんが父を叱って「おにいちゃん、妊婦さんにはもっと気を遣うんだよ!」と毛布を持ってきてくれたそうです。
父は82歳。その頃の花街を知る人もずいぶん減ってしまいました。

染めなおした母の訪問着で

この日は母の訪問着で。
白地だったのをオリーブグリーンに染めなおしたもの。
なんとなく選んだのですが、乃り江さんが代々、笛をされるのでちょうど良かった!日中はこれで働かなければならないため、袋帯は比較的軽めのを選びましたが、パールの帯留めでちょっと華やかさをプラス。これはお世話になった近所のご隠居の形見分け。
帯揚げは先日衝動買いしてしまった、黒地に深紅の蝶々柄の絞りです。

少し高さのある草履は、ブロンズ色に小菊の型押し。
台の側面に一本入っている金色と前坪の紅色が裾から見えます。

 

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