浅草の料亭で新年会
先日、毎年恒例の新年会で、浅草の料亭「福八」さんにうかがいました。
浅草では希少な歴史ある木造の建物です。
私の両親が55年前に結納を交わしたのはこちらだそう。
浅草の花街からどんどん料亭が消えゆく中、長く続けて欲しいけれど、70代(?)のおかみさんの後継者はいないようなので、どうなるのか・・・
料亭文化は日本文化の集大成
料亭というと敷居も値段も高いから気軽に入れる場所ではないのはたしか。
企業の接待や政治家の密談というイメージが強いですが、お店によっては街の旦那衆が宴会をしたり、祭の直会に使ったりするし、会社の仲間と新年会を開いたりもできます。
料亭は日本文化の集大成ともいえます。
料理や器、建築、床の間の美術品や調度品など本物を博物館のケースの中ではなく間近に愛でられ、芸者衆をたのめば踊りや邦楽も堪能できます。
もちろん、おもてなしも一流。
かつては日本中はもちろん都内にもいくつも花街があり料亭が軒を連ねていました。
時代が変わり、人々の時間やお金の使い方も変化したから、消えてしまうのは仕方ないのでしょうか?
後継者がいない、土地の価格が上がり建物の保持にもお金がかかる、その他の理由で歴史ある料亭がどんどん廃業していくのが残念でなりません。
本物の日本文化全般がライブで楽しめる場所って、他にあるでしょうか?
浅草の花街も時代の波にあらがえず
私が育ったのは観音裏とよばれる浅草寺の北側で、昭和50年代頃までは料亭や割烹が何軒もあり、その間に小料理屋、スナック、喫茶店などが集まった地域でした。
この十年で大きな料亭は次々姿を消し、その跡にはマンションが建ちました。おかみさんがひとりで切り盛りするような小さな飲食店も地上げでなくなり、やはりマンションに変ってしまいました。
当時の賑わいは遠くなり、マンションが建ち並ぶ静かな住宅街に変貌しました。
生活スタイルが変わったから、ということもありますが、街の個性がなくなる大きな理由に、世の中のしくみが小さな家族経営の商店にとって、あまりに厳しくなっていることもあります。
外国人観光客を増やせ、「おもてなし!」と声高に叫ぶわりには、行政のトップの人達は一流の料亭でお座敷遊びなんかしたことあるのだろうか(もちろん自腹で)。
そんなことも考えますが、一年最初の宴会はこうして楽しい時間となりました。
父も嬉しそうでした。
この日の着物と履物
うす藤色の小紋に塩瀬の帯。
刺繍の半衿と絞りの帯揚げで華やかめに。
近所の美容室がまだ開いていなかったのでヘアはコマチドームに助けてもらいました。
草履は白エナメルの3段。
たまたま着物と同系色の鼻緒はシルク印伝。
白の草履は季節や着物の種類に合わせて鼻緒を挿げ替えています。持っていると重宝な一足ですよ!
コメント
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。