江戸の町で時刻を知らせた「時の鐘」

江戸時代の時刻はどうやって知ったの?

四代目店主 富田里枝です。
本日、6月10日は「時の記念日」。
かつて江戸の町では「時の鐘」で人々に時刻を知らせていました。
最初の9か所は、1本石街 2上野寛永寺 3市ヶ谷八幡 4赤坂田町成願寺 5芝増上寺 6目白不動尊 7浅草寺 8本所横堀 9四谷天龍寺 で、この順番で前の鐘の音を聞いて鐘を鳴らしていたそうです。
(参考:セイコーミュージアム銀座ウェブサイトより)https://museum.seiko.co.jp/knowledge/relation_07/

時刻を告げる鐘を撞く前に、注意を引くために三回「捨て鐘」を撞き鳴らしていました。次のお寺で遅れずに撞けるようにする知恵だったそうです。
現在の時報「ピッピッピッ ポーン」で最初の「ピッピッピッ」は捨て鐘の名残りだと聞いたことがあります。

日の出のおよそ30分前を明け六つ、日没のおよそ30分前を暮れ六つ、その間を昼夜それぞれ六等分して一刻(いっとき)としました。
なので一日のうちでも昼と夜、また季節によっても一刻の長さは違ってきます。
お日さまが昇ったら起きて日が暮れたら寝るという生活だった当時の人々にとっては、意外と便利なのかもしれませんね。

浅草寺の鐘は今も現役

さて浅草寺の時の鐘。
弁天堂に向かって右手に鐘楼があり、今でも現役で、毎朝6時に役僧によって衝かれており、大晦日には「除夜の鐘」が鳴らされます。

有名な松尾芭蕉の句に「花の雲 鐘は上野か 浅草か」とありますね。
昭和20年3月の東京大空襲で火を浴び、鐘楼は焼け落ちましたが、鐘は無事に残り、今なお昔のままの
姿を見せています。

時が経つほど価値が上がる桐下駄とは

「時は金なり」と言いますが、桐下駄には年月が経てこその価値が高まる「柾目」という基準があります。
柾目というのは桐の年輪のこと。
柾目の本数が多く、等間隔で真っ直ぐに通っているほど桐下駄は値打ちがあり、価格も高くなります。
節や枝があったり、虫食いがある部分は避けますから、何十年ものの桐からも、良い柾目はごく僅かしか取れません。
詳しくは「豆知識」をご覧ください。
『桐下駄の価値と見方』

良い柾目の桐下駄は、年々数が少なくなっています。
以前は下駄の他にも箪笥やお琴などでの需要があったので、桐の木を育てたり、桐材を加工する職人もたくさんいましたが、今ではどんどん少なくなり将来もみえない状況です。
桐下駄の文化、残していきたいものです。

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