第61回 坂東 弘二郎 さん
今回の和装人インタビューは四代目店主に代わって、妹の辻正恵がゲストにお話しを聞きました。
坂東弘二郎さんと正恵は、中学・高校の同級生。校則の厳しい私立の女子校で青春時代を送った二人が再会したのは、卒業してから20数年後。浅草公会堂で坂東流の踊りの会があった折に、弘二郎さんが辻屋本店へ遊びに来てくれたのです。
正恵はこの数年、歌舞伎と日本舞踊に傾倒してしょっちゅういろんな舞台を観ているので、舞踊家となった友人が頑張っているのがとても嬉しく、弘二郎さんが国立劇場で踊った際には、ふだんはジーンズ姿なのに色無地の着物に袋帯を締めて駆け付けました!
この度、弘二郎さんが自主公演を企画されているということで、あらためて舞踊家として歩んできた道のりを語っていただきました。
坂東弘二郎 ばんどうこうじろう
東京生まれ。幼少の頃より日本舞踊の稽古を始める。9歳より小唄、端唄、長唄、三味線を習う。同時に東京宝映(児童劇団)所属。14歳で坂東流名取。九代目坂東三津五郎より、坂東弘二郎の名を許される。高校卒業後、「劇団前進座附属俳優養成所12期生」となる。20歳で坂東流師範。養成所卒業後、三林京子の付き人となり俳優修業を続ける。今後、芝居の振付や所作指導などに活動の場を広げる予定。
【主な出演】
テレビ「特捜最前線」「バトルフィーバーJ」「俺はあばれはっちゃく」など。
舞台 大阪新歌舞伎座、新宿コマ劇場、国立大劇場、国立小劇場など。
常磐津「源太」
王選手が大好きで、小学校2年生まで野球選手になろうと思ってたの
正恵:弘江とは一度も同じクラスになったことないよね。
弘二郎:そうそう、2人とも体育委員だったから同じクラスにしてもらえなかった。
正恵: 日本舞踊やってる子、他にいなかったよね。
弘二郎:そうだね。女子校だから他にもいるかと思ったけど、誰もいなかった。子どもの頃に習っていても大抵中学に入ると辞めてしまうから。
正恵:お金もかかるしねぇ。
弘二郎:踊りを習ってることを知られるのが恥ずかしくて、学校ではほとんど誰にも言わなかった。まーこは中・高6年間、ソフトボール部で頑張ってたね。
正恵:いつも弘江をソフトボール部に勧誘してたんだよね。学年でいちばん運動神経が良かったもん。なんでもできたよねぇ。惜しい人材だった!
弘二郎:アハハ。
正恵:義理で仮入部してくれた時、弘江のノックを見て先生が「あいつはなんだ!」って驚いてたよ。
弘二郎:王選手が大好きで、小学校2年生まで野球選手になろうと思ってたの。背番号1番のユニフォームを買ってもらって、いつも着て歩いてたから商店街で有名な子だったよ。
正恵:そうなんだ!
弘二郎:女子はプロ野球選手になれないって気づいてから人生の目標が変わったんだよね。すでに踊りはごはんを食べるのと同じように生活の一部だったから、中学に入ると学校の帰りには電車を乗り継いでお稽古場に通って、夜中に帰ることも多かったな。
邦楽っていうのは「間(ま)」と「息(いき)」をとって演奏する
正恵:たしかに部活は無理だね。児童劇団にも入っていたとは知らなかった!
弘二郎:東京文化学園(現・新渡戸文化学園)は商業的な舞台やテレビ出演も禁止だったから、中学入学後に児童劇団は辞めてしまったの。通学にも時間がかかったし。
正恵:日本舞踊を始めたきっかけはなに?
弘二郎:伯母が踊りの師匠だったから。最初の手ほどきは3歳くらいから伯母に習い、その後は八代目坂東三津五郎の内弟子をしていたこともある男の先生にあずけられちゃった。稽古場では自分の順番が来るまで何時間も待たされるのね。子どもだからって先に稽古してもらえる訳でないし、黙って何時間も正座して人の稽古を見てるの。辛かったな。
正恵:なるほどねぇ。
弘二郎:母と伯母の父親、つまり祖父は根岸で左官屋をやっていたそうで、人も雇ってけっこう大きな商売をしていたみたいなんだけど、東京大空襲で焼け出されて下町を離れたらしい。昔の職人だから腕に彫り物をして煙管でタバコをのんで、清元(きよもと)を習うような粋な人だったみたい。
清元「山帰り」
正恵:おじいさんのことは覚えてる?
弘二郎:私が10歳の頃に亡くなったのであまり覚えてないな…。伯母の芸事好きは、祖父の影響だったみたい。昔の踊りのお師匠さんは三味線を弾きながら稽古してたから、なんでも弾けたんだって。
正恵:テープとかCDがないからね。弘江は三味線、弾けるの?
弘二郎:小さい頃に習わせてもらったから。日本舞踊の舞台は生演奏ではなくテープで踊ることも多いんだけど、私は初舞台からずっと地方(じかた)さんで踊ってきたので、恵まれた環境だったなと思う。やっぱり生の三味線の音でお稽古や舞台で踊ってきた人と、テープやCDでしかお稽古したことがない人では、どこか違うかもしれない。
正恵:どこが違うのかな?
弘二郎:邦楽っていうのは「間(ま)」と「息(いき)」をとって演奏するから、何分の何拍子ではないのよね。本番になると特にその違いがわかる気がする。踊り手と地方の息を合わせなきゃいけないけど、人間がやってることだから毎回違うでしょう。テープだと毎回同じなわけだから。
正恵:地方さんも気分が乗ってくると、演奏がどんどん早くなっちゃうって聞いたことがあるよ。
弘二郎:そうなの。こちらの技量がないと乗せられちゃう。
舞踊家はまず肉体的な訓練が先になる
正恵:前進座の養成所にも入ってたのよね?前進座ってどんなところ?
弘二郎:松竹から出た歌舞伎役者さん達で立ち上げた、歌舞伎もミュージカルもする劇団で、座の歌舞伎には女性も出演することがあるの。
正恵:そこではお芝居の勉強してたの?
弘二郎:そう、舞台に携わる人になりたい、できれば板の上に立ちたいと思っていたから、踊りや三味線、鳴り物をさらに勉強できるのはいいなぁと。でも養成所卒業の頃に踊りの師範試験の稽古を始めてしまっていたので、まずは師範の資格を得ようと思って踊りの方に専念したわけ。座に残ると地方公演が多いから稽古事はできないし、悩んだけれど芝居はまたいつかできるかもしれないと思って。
正恵:師範になると、お弟子さんを持てるんでしょ?
弘二郎:そうね、自分のお弟子さんを名取にできる立場になれる。
正恵:不合格もあるの?
弘二郎:まれにあるらしい。「もう一回いらっしゃい」って言われるとか。私の時は、九代目のお家元のときだったんだけど。3年前に亡くなった十代目三津五郎のお父様ね。
正恵:当時、歌舞伎の舞台は観に行ってたの?
弘二郎:今より行ってたね。自分が踊る演目が歌舞伎座にかかるときは、中学生の頃から学校の帰りに制服着たまま通ってたよ。
正恵:えー羨ましい!私は部活一筋だったからなぁ。今、踊りを教えたりはしてないの?
弘二郎:伯母がお弟子さん達を残して早くに亡くなったから、しばらくは引き継いでいたのだけど、自分の稽古の時間がとれずに芸の成長が止まってしまうのが怖くて、お休みさせてくださいって。
正恵:自分の勉強がまだまだだと。
弘二郎:そうなの。教えることももちろん勉強になるけどね。今だって、まだまだ努力が足りない。それと、芝居も諦めきれず女優の三林京子さんの付き人になるチャンスがあったの。お芝居の勉強は踊りにもすごくプラスになるから、ラッキーでした。
正恵:どういうお芝居?
弘二郎:大阪新歌舞伎座とか大きな舞台の商業演劇で、お手伝いをしながら自分も出演していた。歌手のかたの公演のお芝居に出たり、三林さんはNHKの大河ドラマにも出ていたから私も週3回くらいNHKに通っていました。
正恵:それも踊りに役立った?
弘二郎:とても役立ったと思う。踊りって、自分でお金を出して舞台に上がるから、上げ膳据え膳なのね。座っていれば化粧してもらえて、鬘ものせてくれて、立っていれば衣裳を着せてもらえて、舞台の袖に行けば小道具を持たせてくれる。役者は化粧も、衣装も帯以外は全部自分でやるの。小道具も自分で管理するから、楽屋に忘れて舞台に出てしまったら自分の責任になる。
正恵:うんうん。
弘二郎:それはお客さまが高いお金を払ってくださっているのだから当然なんだけど。今まで何をしてたんだろうというくらい、自分で何もできなくて打ちのめされました。付き人だから、その女優さんのお手伝いもするわけで、一日のうち自分の時間は一秒もない日々。
正恵:すごいねぇ。何歳くらいの頃?
弘二郎:30歳くらいかな。勉強するにはかなり遅いよね。他の女優さんたちともご一緒させていただいたことで、役者にとって舞台に立つとはどういうことか、あらためて身に染みたという感じ。自分の役は千穐楽を迎えるまで、何があってもやり遂げる責任感とか、踊りだけではわからなかった事がたくさんあったから。
正恵:演劇を学んで、他にも影響されたことはある?
弘二郎:舞踊家はまず肉体的な訓練が先になるので、内面的な表現が弱いかもしれない。「振り」だけで表現することに意識が向いて、登場人物の背景とか性格を掘り下げるのは後からになりやすいね。
正恵:なるほど。
弘二郎:役者の踊りは舞踊家ほど丁寧ではないかもしれないけど、目の動きとか表情が内面から出てくるから、「観ていて何をしてるかわかる」踊りになると思う。私はやっぱり芝居が好きだったから、丁寧だけではない、観ていておもしろい、役者の踊りを目指したいな。
長唄「半田稲荷」
なにか自分で発信したいとずっと考えていた
正恵:今月、日本橋コレド室町の橋楽亭での「弘二郎の来て、観て、聴いて 伝統芸能」は初めての試みなんでしょう?
弘二郎:そうなの。30代初めの頃から、なにか自分で発信したいとずっと考えていたのだけど、ようやく実現できそう。伝統芸能を見たことない人が多いのは残念。
正恵:そのとおりだと思う。
弘二郎:学校の音楽室にピアノはあるけど邦楽の楽器は置いてないから、実物の三味線を見たことがない人はたくさんいる。でも日本人なら聴いて心地良いはずだと信じたい。
正恵:最初の長唄の「甲子待(きのえねまち)」は、どんな演目?
弘二郎:七福神が出てくるおめでたい曲。江戸時代、森田座の前狂言とか脇狂言でやっていたそうです。甲子というのは干支のいちばん最初なので、景気づけに。
正恵:その次は長唄三味線のお話。弘江が弾くの?
弘二郎:そう。生の三味線の音を聴いてほしいなと思って、ほんの少しだけ。伯母が使っていた形見の三味線で弾きます。
正恵:そうなんだ。伯母さん、きっと空の上で喜んでるね。それから芝居のお話に加えて「外郎売(ういろううり)」。成田屋の歌舞伎十八番だね。
弘二郎:アナウンスや声優の学校で教材にもするみたいで、早口言葉がおもしろいし、初演からちょうど300年経っているということで。その次の踊り「雨の四季」」は、日本橋界隈の情景をうたっていて、昭和40年代に作られた比較的新しい曲で歌詞がわかりやすいから、長唄を聴き慣れてなくても入りやすいと思う。
正恵:弘江は、女の踊りは子どもの頃は踊ってたの?
弘二郎:女が踊れないと、男は踊れないの。中学3年のときに二人立ちの演目を踊ることがあって、私のほうが背が高かったから男の役で、ちょんまげだったのね。その時に、これだ!と思って、そこからずっと男の踊り。
正恵:好みにあったんだね。性格がさっぱりしてる弘江にぴったり。髪形も中学生の頃と変わってないものねぇ。
弘二郎:今日着ているのは母が仕立てた着物なの。私が持っている着物はすべてそう。やっぱり踊りをするのには恵まれていたと思う。両親には感謝です。
正恵:本当にそうだね。とにかく、当日は応援に行くから頑張ってね!
楽屋履き(正恵が芸名を入れました)
【弘二郎の 来て、観て、聴いて 伝統芸能 in日本橋】
平成30年5月20日(日)
時間:13時半開演(13時開場)
場所:日本橋コレド室町3 3階 橋楽亭
入場料:2000円
※ 鑑賞ご希望のかたは、辻屋本店・辻正恵までご連絡ください。
tel 03-3844-1321
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