第44回 明順寺 第17代住職 齋藤 明聖 さん
ヨガは4~5年前から細々と続けてきたので、浅草に戻ってきてから再開しようとヨガ教室を探していて、偶然ネットでみつけたのが明順寺の「寺ヨガ」。美和先生のレッスンも相性がよく、広い本堂でお香のかおりに包まれてのヨガが心地よく、そして気さくなご住職や奥さまとのおしゃべりも楽しくて、私にとってはなくてはならない時間となりました。
お寺が身近な存在だということを、皆さんにお伝えしたく、今回のインタビューをお願いしました。
下駄屋.jp ウェブマスター 富田里枝
齋藤 明聖(さいとう あきさと)
昭和27年生まれ。 財団法人全日本仏教会事務総長、 財団法人日本宗教連盟事務局長、浅草仏教会理事長などを歴任。
現在、真宗大谷派東京教区会議員・第17代住職。 法名:釋明聖(しゃくみょうしょう)。
明順寺公式ホームページ http://www.mjj.or.jp/index.html
うちのお寺にとっては、ヨガはいまや重要な仏教行事になっています。
四代目 富田里枝: 明順寺さんのホームページをあらためて見ましたが、内容が充実しているだけじゃなく、わかりやすくて読んでいて楽しいです。とりあえず作っただけ、というお寺も多いと思うのですが、ご住職はまめに更新していらっしゃいますね。
齋藤明聖: 「ウェブ上にお寺の広場をつくる」という目的で立ち上げました。昔はお寺が鍼やお灸の診療所であったり、寺子屋という学問の場であったり、あるいは人々が集う地域のコミュニティの場でした。
ところが今は、教育は学校に、医療は病院になり、地域とも遊離してきている。そんな状況をすぐに変えるのは難しいので、ホームページを活用できたらと考えたのです。
四代目 富田里枝: ご住職はツィッターでもつぶやいていらっしゃいますし(笑)、スマホにしたのも、すごく早かった。新しいものをすんなり取り入れる感覚がすごい。 ヨガ教室を始めたきっかけというのは?
齋藤明聖: お寺とヨガは馴染むな、うちのお寺でもできるなと思ったのです。
四代目 富田里枝: 今や大人気で、ずーっと毎回キャンセル待ちですものね。新聞、テレビ、雑誌と、取材も次々に入ってます。
齋藤明聖: 記者の人が言うには、ヨガをやっているお寺は全国にいくつかあるけれど、明順寺が一番有名だと。何故かと考えるに、一つは本堂でやっているということ。もう一つは、ヨガレッスンの前の「ミニ法話」。それから、気が付くと住職も一緒にヨガをやっていること(笑)。
四代目 富田里枝: 法話の後、やおら法衣を脱いでヨガウエアになるご住職、最初はびっくりしますよね(笑)。ミニ法話も、すごくいいです。
齋藤明聖: なるべく宗派に偏らない、一般的な仏教の話を、あまり仏教用語を使わずにお伝えしようと努力していますが、けっこう難しくてね。でも皆さん喜んでくださるので、ありがたいです。なにより私の勉強になるので。
四代目 富田里枝: ふだんなかなか仏教法話を聞くチャンスってないですから。だいたい、お寺との接点って、法事のときくらい。 最近は、明順寺さんの寺ヨガをはじめ、他のお寺でも精進料理教室や、カフェを開くなど、さまざまな試みをされているようですが。そういうきっかけがないと、観光のお寺以外を訪ねることは、なかなかありません。
齋藤明聖: お寺は敷居が高いと言われますから、若い人たちに興味を持ってもらうような努力は、お寺にも必要なんですよね。うちのお寺にとっては、ヨガはいまや重要な仏教行事になっています。
四代目 富田里枝: でもここ数年は仏教ブームで、仏教の本が売れていたり、仏像好きな若い女性が増えているとか。先日、国立博物館に「法然と親鸞展」を観に行ったのですが、平日なのに大変な混雑でした。
齋藤明聖: 世界的にもその傾向があるようですね。例えばアメリカには仏教センターが電話帳1冊分くらいあるんですよ。 先日亡くなったアップル社のスティーブ・ジョブズ氏も仏教に傾倒していて、お葬式も禅宗の儀式にのっとって行われたそうです。これからは日本に仏教が逆輸入される時代になるのかなという気もします。
四代目 富田里枝: そういった流れには、理由があるのでしょうか?
齋藤明聖: 一つには、新鮮なのだと思います。仏教は内観の思想といわれ、自分に向き合うことで悟りを開く。そこに驚きがあるのでしょう。もう一つは仏教の持っている「共生」の思想。それも今、世界から必要とされているのものではないでしょうか。 ヨガブームと仏教ブームはある意味、繋がるところがあるような気がします。
ひと言で語るとすれば、仏様の眼(まなこ)をいただくこと。
四代目 富田里枝: 先週のミニ法話の「花のいのち」というお話が大変印象に残りました。
齋藤明聖: 19世紀の詩人テニスンは、花を根ごと摘み取り、調べることで、花の秘密がわかったら神もわかるだろうし、人間もわかるだろう、とうたっている。
対して、芭蕉は「よく見れば、なずな花咲く、垣根かな」とうたっています。 「よく見る」とは、花を自分のところにもってくるのではなく、自分が花のなかに入っていく。花と一つになって生きる。そこにテニスンと芭蕉との決定的な違いがあります。
四代目 富田里枝: 花をばらばらにして分析すれば、何かわかったとしても、花は命を失ってしまう。テニスンの見方は、現代の私たちのものの見方である、というご住職の言葉にはっとしました。
齋藤明聖: 人間の知識によって価値を判断し、色分けしていくのは危険だということですね。
四代目 富田里枝: 明順寺さんは浄土真宗のお寺ですが、仏教には宗派がいろいろあります。
私、最近、五木寛之氏の『親鸞』を読んだのですけれど、浄土真宗はお念仏を称えれば皆救われるというのが教えだと書いてありました。禅宗では座禅を行うようですが、仏様に近づくにはいろんな方法があるということですか?
齋藤明聖: そうですね。古来インドにおいては、おおまかに言うと、3つの方法がありました。苦行する方法、仏様の恵みに任せる方法、それから精神統一の方法としてのヨーガ。お念仏は、仏様の慈悲におすがりする一つの道です。
四代目 富田里枝: なるほど。
齋藤明聖: 仏教について語るとなると大変なのですが、ひと言で語るとすれば「仏様の眼(まなこ)をいただくこと」です。人間は自分の都合で物を見て、考えるけれども、仏さまの眼をいただくと、違ったものが見える。そういうことなんじゃないでしょうか。
四代目 富田里枝: わかったつもりになってはいけない、と。
齋藤明聖: 自分の予定観念や頭の中だけの判断など、人間中心主義的な物の見方に、ちょっと待ちなさい、というのが仏教なのだと思います。すべてのことに答えを持ってしまう、それが人間の愚かさだという言葉を聞いたことがあります。
菩提寺というのはホームドクターみたいなもの
四代目 富田里枝: 私は5年前に母親を病気で亡くしたのですが、わずか半年の闘病で逝ってしまったので、なかなか受け入れることができませんでした。実はその頃、ちょうどスピリチュアルブームで、本をいろいろ読んだのですが、生まれ変わりとか前世とか、どうもしっくりこなかったんです。
母のお葬式の後、斎場でお坊さんとお話する時間が少しあったのですが、救われたとまではいかないまでも、お母さんは向こうで待っていてくれるんだな、となんとなくほっとしたのです。
齋藤明聖: うんうん。きっとお話の内容に感じるところがあったのでしょうけれど、お寺に行けば、お坊さんがいてくれる、そのことが大事でもあるのです。
四代目 富田里枝: やはりミニ法話で、東日本大震災の直後、近隣の若い副住職さんが、何かしなければという気持ちに駆られていたところ、ご門徒さんに「お寺はそこにあってくれればいいのです」と言われたというお話がありました。
齋藤明聖: お寺や住職が、やらなければならないことは尽くさねばなりませんが、そこにあってくれればいい、という言葉は、お寺の本質的な姿かもしれません。
四代目 富田里枝: 2年前に私の義父が亡くなったとき、お葬式や法事をどこで行うか、困ってしまって。というのは、夫は両親とも40年以上も前に故郷を出て以来、ずっと関東で暮らしていたので、お寺さんとの繋がりがなくなっていたからなんです。
齋藤明聖: ふだんは意識していないけれども、菩提寺というのはホームドクターみたいなもので、日頃からなにげない会話をかわしていることが、実は大事なことですね。
四代目 富田里枝: ヨガレッスンの後、お茶会で参加者が、ご住職や奥さまといろんなおしゃべりができるのも、毎回楽しみの一つです。
齋藤明聖: お茶会では私もお衣を着ていないし、ヨガの後でリラックスしていますしね。お寺の住職というと、とっつきにくいという印象もあるのでしょうけど、垣根を越えておしゃべりできるのは楽しいですね。
お寺のブランドは安心感なんです。
四代目 富田里枝: 私はインターネットで検索して、明順寺の寺ヨガをみつけたのですけど、誰の紹介でもなく突然申込むことに、それほど不安はありませんでした。やはり、場所がお寺だからかな。
齋藤明聖: そうそう、それがお寺の最大の長所。お寺のブランドは安心感なんですよ。うちの場合は住職がヘンですけど(笑)。
四代目 富田里枝: アハハハ! 毎週、水曜日が楽しみなんです、ほんとに。参加者の皆さんも口々に、ヨガ以外にも何かあったら来たいって言ってますよ。
齋藤明聖: そうねぇ、一人でこなすのはヨガだけで精一杯で…。でも考えてみると、日本全国7万5千のお寺があるんですから、一つのお寺が一つのことをやってくれたら、すごく社会的影響が大きいと思います。お寺が元気の源になれたら、幸せですよね。
四代目 富田里枝: ツィッターで若いお坊さん達と交流されてますが、何かやりたいというお寺さんもいらっしゃいますか?
齋藤明聖: 高齢化・少子化で将来的な危機感はあるのでしょう。日本人の宗教離れもいわれていますし、地域との遊離もありますから、どのようにお寺を活用してもらえるか、若い人たちなりに悩んでいます。やはりホームページなどで発信していかないと。伝えないと、伝わらない。見せていかなきゃ見てもらえない。そういうことは、これから絶対条件になっていくと思います。
四代目 富田里枝: お檀家さんでない私たちも、寺ヨガをきっかけにお寺に来られるのは、ありがたいことです。ヨガ以外にもお寺さんと仲良くなれる方法ってあるのですか?
齋藤明聖: うちのお寺でいえば、歎異抄講座を開いていますが、誰でも参加できるお寺の講座やイベントに行ってみるのがいいんじゃないかな。
四代目 富田里枝: 毎年12月の「報恩講」は、浄土真宗では大事な行事なのですか?
齋藤明聖: 親鸞聖人のご命日の法要で、最も重要な仏事として、本山はもとより全国の浄土真宗の寺院で大切に勤められています。基本的には仏事なのでお勤め、法話があり、その後、うちのお寺では落語を聞くという流れになっています。
四代目 富田里枝: 落語とは、おもしろいですねぇ。
齋藤明聖: 昔はお寺で落語会はよくあったものです。お寺の住職が説法をするとき、聴衆の気を引くために、おもしろい話をしたのが、落語の始まりとも言われています。うちのお寺には五代目の柳亭左楽のお墓があるご縁で、報恩講では六代目が一席噺をしてくださいます。
右脳を働かせてリラックスする、瞑想する時間として、お経を受け止めてくれたら
四代目 富田里枝: あの、お経って聴いても意味がわからないんですけど、それでもいいのでしょうか?
齋藤明聖: このあいだ、ヨガに参加してくれた女性が、お能を始めたそうで、「能楽は右脳に働きかけるといいますが、お経もそうじゃないですか?」と言うのです。なんで?と聞くと、意味がわからないから、と。なるほどと思ってね、意味がわからないお経を左脳を働かせて考えようとするから、眠くなっちゃうんだな。
四代目 富田里枝: アハハハ!
齋藤明聖: 右脳を働かせてリラックスする、瞑想する時間として、お経を受け止めてくれたらいいのではないかと思いますよ。
四代目 富田里枝: お友達に趣味でゴスペルを唄っている人がいますが、お経を声に出して読むのも、やはり気持ちよさそうです。
齋藤明聖: 仏様に礼拝する究極の方法が、いっしょにお勤めをする、お経を読むということです。興味があれば本やCDもありますよ。 私は年中お経をあげていると、体調によって今日は声がよく出るなとか、呼吸が早いなとか、その時の自分の状態がわかるのです。ヨガと同じですね。
四代目 富田里枝: ヨガレッスンの前に、みんなで三帰依(さんきえ)を合唱しますね。
齋藤明聖: 三帰依はお勤めしやすいですね。今から日常と違ってきますよ、という気持ちになります。お茶の世界では結界と呼びますが、場が変わる儀式は大事なことですよね。
四代目 富田里枝: 着物のことをお話しいただければと思います。お坊さんが着ていらっしゃるお衣は、なんという名前なのですか?
齋藤明聖: 私たちの言葉では間衣(かんえ)と呼びます。行事の重さ、軽さによって、形や色の違いなど全部で7種類の組み合わせがあります。
四代目 富田里枝: たとえば重い行事ではどんなお衣なのですか?
齋藤明聖: 通常は七条袈裟をつけます。ふだんの法要などには五条袈裟です。
四代目 富田里枝: その何条というのは?
齋藤明聖: お衣は本来、質朴なもので、捨てるような布切れをつないでお衣に仕立てていたのです。七条、九条、十二条と、つないである布が多いほど、質朴であるということになります。ところが今は細かくすればするほど、高価になってしまい、本来の意味と逆なんですけどね。
四代目 富田里枝: 色についてはどうなんでしょうか?
齋藤明聖: お坊さんの位、行事、宗派によってお衣の色が異なります。これはかなり複雑で、私でも理解しづらいです。
四代目 富田里枝: ふつうの呉服屋さんでは売ってないですよね?
齋藤明聖: そうそう。専門店です。
四代目 富田里枝: 履物はどうでしょう?
齋藤明聖: 外出する際は雪駄ですね。儀式用には「藺草履(いぞうり)」や、布が張ってある沓で「草鞋(そうかい)」というものを履きます。ほかに黒塗りの木沓で「浅沓(あさぐつ)」などがあります。また沓を履く場合には、指が分かれていない「襪子(べっす)足袋」という先丸足袋を履きます。
四代目 富田里枝: これからはお坊さんの履き物にも注目してみることにします。
齋藤明聖: 私自身は、お衣に、色のきれいなマフラーやストールを巻いたりするんですよ。
四代目 富田里枝: ご住職はおしゃれですよね~! 青山のヘアサロンまで行くと聞いてびっくりしました。
齋藤明聖: 和のものに、洋のものを取り合わせると、意外な効果がありますね。私は今後、輸入品という言葉がなくなる時代になると思います。東洋文化と西洋文化が調和していくと。
四代目 富田里枝: もともと日本人は和洋折衷が得意ですね。
齋藤明聖: 日本の伝統文化は、ある意味どこか行き詰まり、展望が描ききれていない。でも違った視点で表現していけば、世界で注目されると思います。着物や履物も、昔ながらの決まりや作法を大切にしつつ、いろんなものを取り入れて、新しいことにチャレンジしていかれたら若い人たちに受け入れられていくと思います。
四代目 富田里枝: はい。心にとめておきます!
仏教をたしなむことも大切になるのでは
齋藤明聖: 一方で、世界的にアジアへの回帰、アジアティックターンが始まっています。日本の伝統的な建築、美術、それに着物など、あらゆるものに仏教の影響が色濃くありますから、それらを学ぶには、仏教をたしなむことも大切になるのではないでしょうか。
四代目 富田里枝: このところ、日本は大災害にみまわれ、経済状況も沈んでいるし、元気がないですよね。仏教が世界から注目を集めているのだとすれば、私たちが仏教をたしなんでいることは自信につながるのかも。
齋藤明聖: 混沌とした時代に、みんなが新しい価値観を求めている。そういう時代には本物が輝くのです。以前は、本物はじっとしていれば注目されたのですが、今は発信しないと伝わらないです。
四代目 富田里枝: インターネット等で情報量がすごく多くなった一方で、人とのつながりは薄くなっていますから。
齋藤明聖: そうですね。世界はグローバル化していますが、今後はローカライズしていく道が求められるのかもしれません。野菜だって、どこの誰それが作りました、と書いてありますよね。
四代目 富田里枝: お葬式も、知らないお坊さんが来るよりは、親しいお坊さんがお経をあげてくれたほうがいいですね(笑)。「自分のお寺」というのが、キーワードになるのかもしれません。今日はありがとうございました。次の寺ヨガを楽しみにしています!
2011年11月21日 明順寺にて。
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