第62回 薩摩琵琶 友吉鶴心さん
友吉さんは同じ浅草出身で同学年ですが、小学校の区域が違うのと、
町会が違う(浅草ではここが大きなポイント)ので、
お話しするようになったのは、この数年のことです。
国立能楽堂で毎年開催している友吉さんの演奏会「花一期」に初めてうかがって
琵琶の演奏を聴き、その深く激しい旋律に心が揺さぶられました。
いらい浅草のギャラリー「エフ」でのライブなどへ時々まいりますが、
演奏もさることながら、古典芸能に関する知識の深さ広さにはいつも驚くばかりです。
友吉鶴心(ともよしかくしん)
1965年、東京・浅草出身。幼い頃より様々な伝統芸能を学ぶ。両祖父の偉業である薩摩琵琶の発展を志し鶴田錦史に師事。文部大臣奨励賞、NHK会長賞他、多数受賞。国立劇場主催公演・国際交流基金主催海外公演・サントリーホール主催公演を始め国内外での演奏や、作家・橋本治氏、デーモン閣下を始め様々なセッションを重ね活躍中。NHK大河ドラマなどで琵琶指導、出演。ドラマ中の全芸能で芸能指導を勤める。
台東区アートアドバイザー・たいとう親善大使。日本大学芸術学部音楽学科非常勤講師。
社)日本スイーツ協会理事 NPO法)ACT.JT理事
公式ホームページ http://www.biwagaku.com/
明治時代には都内に琵琶専門店が40軒以上あったといいます
富田里枝: 友吉さんの演奏を聴くまで、恥ずかしながら琵琶の演奏って聴いたことがありませんでした。私に限らず今はあまり馴染みのない楽器だと思いますので、まずは琵琶の基本的なことを教えていただけますか?
友吉鶴心: 琵琶は中東で生まれた楽器です。胴の上部に月のマークがついているでしょう。それが証拠。シルクロードを経て中国で今の形になり、日本に伝来したといわれています。大別すると、雅楽の琵琶と、仏教と共に伝えられた盲僧琵琶がありました。正倉院にも五弦螺鈿の琵琶の他、いくつか確認されています。
雅楽の琵琶はオーケストラでいうところのベース的な存在で、メロディを弾くことはあまりありません。
盲僧琵琶は祭具のひとつで、木魚、盤木(ばんぎ)などの様に、お経を唱える折り、リズムをとる役目をしました。
鎌倉時代の終わり頃、平家琵琶が生まれます。『平家物語』(平曲)を語る専門の楽器です。『平家物語』は内容的にも画期的な名作なので急激に盛んになり、流行しました。平曲は、声楽の部分は仏教音楽の声明から影響を受け、楽器は雅楽の琵琶と盲僧琵琶の両方から影響を受けています。
富田里枝: 「耳なし芳一」で知られているのが平家琵琶なんですね。『平家物語』は語り物音楽として最初にできたものですか?
友吉鶴心: いえ、それ以前にも語り物音楽はあったと思います。ただ口から口へ伝える口承音楽なので文字としての資料が非常に少ない。物語が残っていたとしても、どのような節が付いていたか推測するのは難しいです。
富田里枝: なるほど。
友吉鶴心: 次に薩摩琵琶が生まれます。薩摩藩の島津家が文武両道のたしなみのために役立てようと盲僧琵琶を利用したのが始まりで、島津日新斉が開祖と伝わっています。
過去の英雄、武勇伝などを歌う薩摩琵琶は、仁・忠・義・孝といった武士としての心を育てるための音楽として発展します。
富田里枝: 薩摩藩では武士の必須科目だったのですね。
友吉鶴心: そう。薩摩琵琶と天吹(てんぷく)という小さな竹の笛、この2つが課題楽器でした。
富田里枝: 音楽を通じての武士道というのは、非常に面白いですねぇ。
友吉鶴心: 「礼は楽なり。楽は礼なり」と儒教の教えにもあるのです。
富田里枝: 他の藩も習って琵琶を推奨したということはなかったのですか?
友吉鶴心: いえ、薩摩藩限定でした。オリジナルな文化が多く、よそに出さないのが鹿児島のスタイルでした。言葉も他藩とかなり異なりますし。ところが江戸時代の終わりから明治時代にかけて、国を動かした人々は鹿児島出身者が多いので、薩摩琵琶が広まるんですね。とくに海軍の兵隊さんはほとんど琵琶を弾いたと言われます。
富田里枝: 海軍で琵琶!意外でした!
友吉鶴心: 明治中期になると繊細優美な技巧を加え芸能化した町風琵琶が生まれます。その「錦心流」など革新的な琵琶に対して、従来の武士の魂を伝える伝統的な琵琶を正派と呼びます。
富田里枝: 琵琶が僧や武士だけでなく、一般の人々に広がっていくわけですね。
友吉鶴心: はい。その後、三味線音楽と薩摩琵琶取り入れて近代化した筑前琵琶が考案されます。福岡近辺で発達し、こちらも芸能化の一途を歩むことになります。
富田里枝: 筑前琵琶に対して、友吉さんが演奏される薩摩琵琶の特徴というと?
友吉鶴心: 大胆かつ繊細というのが薩摩琵琶の魅力です。明治時代には都内に琵琶専門店が40軒以上あったといいます。今は3軒くらいしかない。当時はたいへん流行っていたんですね。
富田里枝: 私の親世代が若い頃、浅草にはあっちこっちに小唄のお稽古場があったと聞いていますが、琵琶もそうだったんでしょうか。
友吉鶴心: そうです、そうです。琵琶は寄席にもたくさん出ていました。それくらいメジャーだったんです。あるいは無声映画で講談師が弁士、琵琶が演奏、そういう時代でした。
富田里枝: 今は残念ながら琵琶があまり身近な存在とはいえません。それほど流行ったのに、なぜかしら。
友吉鶴心: 戦後、GHQが武士の思想的な文言を切り捨て、削除していきました。琵琶で歌われる義とか忠とか、彼らにとってNGワードだったのでしょう。上演禁止、検閲などがあって、琵琶もだんだん衰退していかざるを得ませんでした。
富田里枝: なるほどねぇ。友吉さんは、おじいさんが両方とも薩摩琵琶奏者だったそうですね。すごいなぁ。
友吉鶴心: 母のきょうだいも何人か琵琶奏者に嫁いでいますし、自分ではさほど特別な生い立ちだと感じたことがないですねぇ。子どもの頃、楽屋は遊び場でしたが、琵琶音楽はどちらかというと明るい音曲ではないですし、子どもにとってみれば古臭い、埃の被った骨董品のように感じていました。よもや自分が演奏するとはこれっぽっちも思っていなかったです。
富田里枝: どんな子ども時代だったのでしょうか?
友吉鶴心: 日本舞踊とか三味線、お琴、鼓。日本の伝統的な芸能はいろいろ習っていました。幼い頃から古典芸能が好きでしたねぇ。
富田里枝: 友吉さん、私と同い年ですから昭和40年生まれ。私は日本舞踊をちょっとだけ習っていましたが、同級生はピアノやバレエ教室に通っている子が多かったです。やはり育った環境ですよね。
友吉鶴心: そうかもしれませんね。
富田里枝: 最終的に琵琶を選んだのは、どういった経緯ですか?
友吉鶴心: 大学に入った頃、舞踊家にもなれないし、歌舞伎役者にもなれないし、どうしようかなと悩んでいました。すでに両祖父は他界していたのですが、あるとき琵琶を弾いている祖父の夢を何日か続けて見まして「あ、琵琶やってみようかな」と思ったのです。
富田里枝: 枕元におじいさんが!
友吉鶴心: 母方の祖母に相談したら「おやめなさい、食べていけないから」と言われました。それでも再三頼んだら、そんなにやりたければと、後の師匠になる鶴田錦史先生のところへ連れて行ってくれたんです。
富田里枝: 入門して初めて琵琶を触ったわけではないですよね?
友吉鶴心: いえ、それが初めてでした。ただ門前の小僧というのか、DNAの中にあるのか、フレーズも節も自然に入ってきましたね。
富田里枝: やっぱり。
友吉鶴心: 2年修行して見込みがなければやめてもらいます、と師匠から言われていましたが、1年後には舞台に出ていました。
日本の芸能の基盤は、現在に感謝して過去に鎮魂すること
富田里枝: さすがですね。30年近く薩摩琵琶の発展に携わってこられて、今どんな思いをお持ちですか?
友吉鶴心: ソウルミュージックは心の叫びと言われますが、薩摩琵琶もそう。叫びというと大声で喚き散らすというイメージがありますが、日本人の叫びとはもっと心の深いところにある叫びだと思うんですね。
富田里枝: うーん、なるほど。
友吉鶴心: 私がいつも申し上げているのは、日本の芸能の基盤は、現在に感謝して過去に鎮魂すること。琵琶だけではなくすべての芸能に通じ、それがなければ未来はみえてこないのです。
富田里枝: 鎮魂ですか。
友吉鶴心: 過去の人々の辛い想いとか経験があるからこそ、今の私たちが芸能を楽しめるわけで、そこに感謝と崇敬の気持ちが生まれるのが鎮魂といえるのではないでしょうか。
富田里枝: たしかに。
友吉鶴心: 歌舞伎の演目「実盛」や「一谷嫩軍記」も結局は鎮魂です。「助六」だって、華やかエンタテインメントですが敵討ちというテーマがあります。鎮魂があるからこそ敵を討つ。「暫」は昔の芸能儀礼に似ています。主人公は巨大な姿をしていますが、実は子どもという前提なんですね。小さな者がパワーを持つ、古代の神秘性。大地を鎮める神聖な存在が芸能になったともいえます。
富田里枝: 琵琶楽のように、お話を語りながら歌い演奏する芸能は、日本独自の表現方法だと思いますか?
友吉鶴心: 落語や講談、文楽などはお客様に対して開放するスタイルとして残っていますが、琵琶の場合は儀礼・仏教的な思想が大きくあるので、どちらかというと内側へ内側へ入っていく音楽です。現代にはあまりない表現かもしれません。たとえば「悲しけれ」と歌うとき、言葉で「悲しい」と表現しているので、悲しさがマイナスになる節(ふし)はNGなわけです。
富田里枝: ん?ちょっとよくわかりません。
友吉鶴心: つまり「悲しけれ」と歌った時、聴く人がいっそう悲しく感じる節でなければいけない。100人聴いていたら、100人の悲しさにヒットするような節であるべき。これが私の師匠の教えなんですね。
富田里枝: いろんな悲しさがある。
友吉鶴心: そう、100人の敦盛の悲しさがあり、100人の熊谷の悲しさがあるだろうと。ですから、悲しいフリして歌うな、節のとおりに歌いなさい、演奏家が中途半端な感情を入れて歌ってはだめなんだと、師匠はよくおっしゃっていました。
富田里枝: ひとりで一つの琵琶を弾き、歌う。他に楽器もないし踊る人もいない、きわめてシンプルですよね。
友吉鶴心: おっしゃるとおり。
富田里枝: 内側へ内側へ入っていく音楽とおっしゃいましたけれど、これからの時代は逆にそういう音楽が求められるかもしれません。「大衆」の時代が終わりつつある今、客観的に訴えてくるものを、それぞれ自分なりに捉えることができる。今だからこそ琵琶が心に沁みてくる芸能として必要とされるような気がします。友吉さんの演奏を聴いて、そう感じました。
友吉鶴心: それはありがたい言葉です。私の師匠、鶴田錦史はとにかく凄い琵琶奏者であり、表現者であり、天才というか神がかっていました。戦後の琵琶をリードしてきた師匠の鶴田錦史がいてくれたからこそ、薩摩琵琶の今があるのだと思います。師匠が残してくれたものにしがみついて必死に稽古する、それが私たちにできることなんです。
何百年離れていようと、その人と今、ここで出会える
富田里枝: ところで友吉さんはNHKの大河ドラマの制作に毎回参加されていますが、「平清盛」から芸能指導全般で関わっていらっしゃるのですよね。
友吉鶴心: はい、最初は「利家とまつ」での琵琶指導でした。五世野村万之丞さんが「芸能考証」をされていて、それまで琵琶指導をしていた師匠が亡くなったので私にお声かけくださったのです。
万之丞さんがお亡くなりになってから、大河ドラマの中の芸能シーンが適当になってしまったのを残念に思っていたところ、平安時代の多くの芸能、儀式が出てくる「平清盛」で参加させていただくことになったのです。
「芸能考証」というのは、私にとっての丈夫(ますらお)、憧れの人でありました五世野村万之丞さん独自の肩書でしたので、私は「芸能指導」として参加させていただきました。
富田里枝: なるほど。
友吉鶴心: 何年か前に野村家の方々と小旅行する機会があり、その際に当代家長である万蔵さんが認めてくださったので、それから「芸能考証・指導」という肩書を使わせていただいています。
富田里枝: それにしても友吉さんの知識が広いのには驚いてしまいます。琵琶という楽器は歴史が長いので、それに関わることを勉強されていたのだとは思いますが、単なる演奏だけではなく、ずいぶん広く深く研究されていますよね。
友吉鶴心: 研究とまではいきませんが、ひとつひとつ断片をひも解いていれば、おのずと様々なことに触れざるを得ないだけです。直筆の文献に向き合うことで、この人はどんな思いで作品をつくったのだろう?と思い巡らせるのが趣味といいますか。
富田里枝: 演奏会の後のお話でも、直筆の資料を見るのが大事とおっしゃってました。
友吉鶴心: 私は国会図書館などで直接、昔の歌詞カードなどを目にして、自分が感じたことを生かしていくようにしています。当時は今と違って紙も墨も非常に貴重なので、間違えてはいけない。だから、きっと歌いながら書いているだろうと推測します。そうすると文法的に変な部分で切れていたり、筆継ぎをしていたりするのは、節の区切りだなとわかるんです。
富田里枝: おもしろい!歌いながら書いていた!
友吉鶴心: 200年以上前の手紙で、書いた人の息遣いが手紙から感じられたりします。大切な言葉は太い字で書いてある。何百年離れていようと、その人と今、ここで出会えるんですよ。そんな嬉しさ、ときめきを感じながら昔の芸能と向き合い、現代のドラマに生かしていきたいなと。
富田里枝: 制作現場で役者さんに、そういうことを伝えたりするのですか?
友吉鶴心: そうです。芸能指導のお仕事は、まず振りや歌を教えるのではなく、この歌は何のために生まれたか、何のために歌わなきゃいけないか、お教えします。
富田里枝: 歌をつくってしまうこともあるとか。
友吉鶴心: はい、そのシーンの意味合いに添った歌・振付け・選曲をスタッフと決めますが、節やメロディーがわからないものは、当時の楽曲の断片をもとに作ります。音階にも時代の流行りすたりがありますから。戦国の好み、安土桃山の好み、江戸好み。着物もそうでしょう。
富田里枝: すごい!そんなことできるの友吉さんくらいでは?
友吉鶴心: いやいや、研究家はたくさんいらっしゃいますが、演奏家とは表現がちょっと違うかもしれませんね。
富田里枝: その時代に流行っていそうな歌が出てくることで、ドラマのリアリティが増すでしょうね。
友吉鶴心: そうだといいなぁ。制作スタッフには音楽だけでなく作法や儀式を大切にしていただきたいと提案させていただいてます。
富田里枝: 儀式となると秘密だったりするのでは?
友吉鶴心: 最近はオープンにされるものも増えましたし、日本古来の仕組みって複雑に見えても実はとてもシンプル。「1」はない。プラスとマイナスで「1」が生まれる。
富田里枝: 陰と陽ってこと?
友吉鶴心: そう、おっしゃるとおり。または阿吽、表と裏。物事には両方ある。伊勢神宮にも内宮と外宮がありますし、もうすぐ行われる大嘗祭でも悠紀殿(ゆきでん)と主基殿(すきでん)では同じ儀式を行います。
浅草っ子として「浅草の言葉」を伝えたい
富田里枝: さて今年はいよいよ「いだてん」が始まりました!今度は近代のお話ですね。
友吉鶴心: はい、明治、大正、昭和と。
富田里枝: 町風の琵琶が流行った時代ですね。
友吉鶴心: そうなんです。明治はさまざまな文化がごった煮のように混じり合っていく時代の分岐点です。明清楽(みんしんがく)、つまり中国の近世音楽の明楽と清楽で、大道芸などにあったらしいのですが断片的にしか残っていないので、今回は明清楽をちょっとアレンジしてみようとか。踊りながら練り歩く当時の芸能を、ドラマでしかできない表現でたくさん試みています。物売りの声、呼び込み、口上、そういうのも手がけました。
富田里枝: おもしろそうですねぇ!
友吉鶴心: なにより、私たちチャキチャキの浅草っ子として「浅草の言葉」を伝えたい。
富田里枝: 最近、浅草の言葉を話す人がずいぶん減りました。私の知っている中では、手ぬぐい「ふじ屋」の川上さんとか。
友吉鶴心: そうですよね。ドラマの中では江戸言葉・落語指導で古今亭菊之丞さんが入ってくださっていますが、落語で使われている江戸言葉は、落語独特の言い回しだったりしますよね。日常生活のなかで「てやんでぇ」「てなことおっしゃいまして」とか使わないでしょう。
富田里枝: ですよね!
友吉鶴心: 日本橋辺りともちょっと違う、浅草独特の心意気を伝えたいのです。
富田里枝: 浅草の心意気ってなんでしょう。
友吉鶴心: 「粋」と「意気」。どちらも「いき」と読みますが、「粋」は本来「すい」なんですね。これは字のごとくお米を卒業させるという意味で、稲から白米までのプロセスを表す言葉。ものごとを突き詰めるということ。浅草は「粋(すい)」もあり「意気(いき)」もある街です。それが表現できたら浅草の言葉に近づけると思います。
富田里枝: 友吉さんから見て浅草の言葉の特徴ってなんだと思います?
友吉鶴心: 言葉少ないところ。すっきりしてる。ウダウダ、長ったらしいのは絶対ダメ。
富田里枝: 少なすぎますけどね(笑)。
友吉鶴心: だから、何言ってるかわかんない、オヤジ何言ってんだよってことになります(笑)。セリフがどうこうより、気持ちの問題なんです。
富田里枝: 日本橋や銀座の旦那衆と違うところは、浅草の旦那衆は商売やってるのは同じでも、ちょっと職人っぽいところがあるのかなぁ。
友吉鶴心: その通りだと思います。旦那と職人がミックスされた感じ。
富田里枝: 「いだてん」の中で、ここは浅草の言葉を意識してほしい場面ってありますか?
友吉鶴心: 第一話で出てきますが、ビートたけしさん演じる落語家の志ん生とお嬢さんがタクシーに乗っている場面があるんです。車が混んでて高座に間に合わないかもしれない、娘役の小泉今日子さんが、とにかく急いで早く行って欲しいと運転手さんに言うセリフ、どうしたらいいですかねって聞かれたんです。それで「早く、つっ、と行って、つっ、と!」はどうでしょうとご提案したんですよ。後日、小泉さんが「つっと行って」って言いましたよ!とおっしゃってました。
富田里枝: 見ました!たしかに「つっと行って」でした!
友吉鶴心: 役者さんたちは東京以外の出身のかたも多いから、江戸の言葉、浅草の言葉をセリフでどうしゃべるか悩むのですが、私は基本的にイントネーションは直さないです。「つっと行って!」みたいな心意気を説明する。浅草って遡ると東北や北陸出身の人が多いから、じつはその地方の訛りが心意気に通じたりするのです。
富田里枝: 言葉が、どこから出てくるかが大事なんですね。
友吉鶴心: そう、イントネーションよりそこ。「少ない言葉に心意気がまっつぐに出てくる」それが浅草の言葉なんだと思います。
富田里枝: 明治から昭和まで、時代をまたぐ物語ですね。昨年、友吉さんに茨城県つくばみらい市にあるロケ施設へ、浅草の仲間たちと一緒にご案内いただきましたよね。大正・昭和時代の町並みが再現されて、路面電車が走っていたり、まさにテーマパークみたい。なにより私たちが感動したのは全盛期の浅草・六区映画街や十二階が出現していたこと。みんな興奮しました!
友吉鶴心: あの日は暑かったですよね(笑)。「いだてん」には浅草の場面が多々登場するだけでなく、台東区とのご縁は深いのです。柔道家であり、教育家でもある嘉納治五郎が興した柔道の総本山「講道館」は、現在文京区にありますが、発祥の地は台東区。銀座線・稲荷町駅の近く、永昌寺にありました。
富田里枝: はい、「いだてん」ポスターが台東区中に貼ってありますね。うちの店にも貼らせていただきました!
友吉鶴心: それはよかった!大河ドラマ初の4K映像作品ということで、セットや小道具のディテールもスタッフがかなりこだわって作り込んでいます。それはそれは楽しいドラマなので、ぜひ一人でも多くの人に見ていただきたいです。
富田里枝: 1年間、毎週日曜日を楽しみにしています!
【公演のご案内】
『続・花一看』友吉鶴心の琵琶の世界に触れる
2019年2月23日(土) 14時~ / 18時~
会場:ギャラリー・エフ
台東区雷門 2-19-18
TEL 03 3841 0442
主催: 友吉鶴心事務所/ギャラリー・エフ
お問い合わせ: ギャラリー・エフ TEL 03-3841-0442
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