日本の伝統奇術、和妻(わづま)の魅力

3月27日(日)にライブで放送しました「第15回ニッポンのポン」は和妻をテーマにお届けしました。
和妻とは古くから日本に受け継がれる日本古来の伝統奇術です。
江戸時代は細かな手先の技という意味で手妻(てづま)と呼んでいましたが、明治時代に西洋の手品が日本に輸入されたことがきっかけで、西洋奇術を「洋妻(ようづま)」、日本古来の奇術を「和妻」と区別するようになったとか。

ゲストは、和妻師の養老瀧之丞(たきのじょう)さん。
2022年2月まで北見翼の名前で活動されていましたが、3月から養老瀧之丞を襲名、各地の寄席やイベントなどで披露されています。

ブログはこちら https://profile.ameba.jp/ameba/tsubasa-magic/

日本で初めてパスポートを取得した和妻師

今回、和妻をテーマにするにあたって、こちらでも少し調べてみたところ、江戸時代から明治にかけて活躍した「隅田川浪五郎」という和妻師がいたという事実をみつけました。
隅田川といっても、浅草ではなく神田相生町に住んでいたらしいです。

この隅田川浪五郎さん、なんと日本で初めてパスポートを取得した人なんです!
ウィキペディアによれば、横浜居留地の外人を相手に手品を披露して好評だったそうで、慶応2年(1866年)に江戸幕府の外国奉行から「印章」を取得、これが日本国旅券の第一号なのです。

リズリーというアメリカ人をマネージャーにして、サンフランシスコを始め全米各地を巡業して絶賛され、ジョンソン大統領にまで謁見したという…すごい!

翌・慶応3年1867年にはパリ万国博覧会に出演し、3ヶ月パリに滞在したそうです。
大河ドラマ「青天を衝け」をご覧になった方は、渋沢栄一がパリ万国博覧会の使節団の一員としてフランスへ渡った場面を覚えているのでは。

その後、ロンドンにも11週間の滞在、さらにオランダ・スペイン・ポルトガルなどヨーロッパ各地を回り、ジャパニーズ・アクロバット・ブームを引き起こした。そして、明治2年に帰国とあります。

パリ万博をきっかけに、欧米では“ジャポニズム”がブームになりますが、その一役をかったのが、隅田川浪五郎の和妻だったのかもしれません。

特に人気だったのが、紙で作った蝶々が舞う「胡蝶の舞」という芸で、フランスの新聞ル・モンドに大きなイラスト入りで紹介されています。

「胡蝶の舞」は今回のゲスト、瀧之丞さんの持ち芸でもあるそうです。

辻屋本店2階 履物ギャラリーで実演

番組中には実演も披露していただきましたが、「胡蝶の舞」を演じるのは辻屋本店の店内では狭すぎたため、「連理(れんり)の白紙」と「夫婦引き出し」を見せてくださいました。

手品だから「え~!なんで?!」という驚きやワクワク感もあり、同時に日本舞踊のような所作の美しさがあるというのが、和妻の特徴。
また小道具に扇子や桜花、紅白の紙などを使い、どの芸も目出度い感じなのです。
瀧之丞さんによれば、日本の芸能は神様に捧げるのが原点だからなのでは…とおっしゃってました。

中学生の頃、マジシャンになると決めた

子どもの頃からマジックが大好きだった瀧之丞さん。
中学3年生の頃、お風呂に浸かりながら、マジシャンになるか、もう一つ大好きだったX JAPANのようなバンドをやるか悩み、マジックを選んだのだそうです。
奇術界の重鎮、北見マキ氏の元で学び、弟子入り後、師匠が寄席に出演していたのがきっかけで稽古の傍、寄席で二年間の前座修行をします。
一方で、あるとき浅草・木馬館で大衆演劇を観て衝撃を受け、役者になることも考えたそうです。まぁ若い頃はいろいろ悩みますよね^^;
しかしやはりマジックは諦められず、日本の伝統的な奇術、和妻をやろう!と決心。北見翼としてデビューします。
そして和妻界の大名跡「養老」の名を師匠である北見マキ師からいただき、養老瀧之丞を襲名。

 日本奇術協会 https://jpma.net/member/associate/%e5%8c%97%e8%a6%8b%e7%bf%bc/

瀧之丞さんは落語芸術協会に所属しているので、都内の各寄席に出演されています。
4月の浅草演芸ホールは上席後半(4月6日~10日)の夜の部に出る予定です。
ぜひ足をお運びください。

 浅草演芸ホール https://www.asakusaengei.com/

 落語芸術協会 https://www.geikyo.com/profile/profile_detail.php?id=240

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