炎鵬関を訪ねて宮城野部屋へ
とても爽やかで礼儀正しい青年でした
炎鵬関に勝ち越しの御祝いで草履をお渡しするため、妹、夫と3人で宮城野部屋へお邪魔しました。
昨年、十両に昇進した直後にご本人が来店され、草履や雪駄をお求めくださり、以後ずっと応援し続けています。
身長168センチ、関取最軽量の99キロ。
小兵ながらも大きな力士を投げ飛ばす豪快な相撲は爽快そのもの、人気急上昇のお相撲さんです。
渋好みなので黒の草履を
礼儀正しくて人柄もとても良いかたで、草履についてメールでやりとりさせていただいていますが、いつもすぐに丁寧に返信してくれます。
若いのに渋好みで黒がお好きというので、こちらをプレゼント。
この日も快く写真を一緒に撮ってくださったり、色紙にそれぞれの名前を入れていただき、ますますファンになりました!
相撲ラブだった20代の思い出
大相撲は子どもの頃から家族みんな大好きで、父が春日野部屋の部屋付親方だった玉ノ井親方とゴルフ仲間だったことから、ひとりでもよく遊びに行ってました。
朝早く、浅草から両国へ自転車を走らせ「朝稽古見せてくださーい」と行っても「いいよー」と入れてくれるような、のんびりした時代でした。
20代の頃は相撲好きの女友達と場所前に夜通し並んでチケットを買い、場所中に何度も国技館へ通い、巡業にもついて行くほど相撲ラブな女子だった私。
浅草の観音裏に鳶の頭だったマスターがやっているエンゼルという喫茶店があって、佐渡ヶ嶽部屋の若いお相撲さん達がよく珈琲を飲みに来ていたのですが、お茶のお稽古帰りに相撲好きの友達とエンゼルに寄ってワイワイおしゃべりするのが楽しみでした(これ今書きながら時代を感じるなーと思った)。
私は現春日野親方、当時の栃乃和歌関のファンで、『月刊大相撲』という雑誌の「今日の金星」コーナーに顔写真入りで「早く大関になってください」というコメントが載ったことがあるのは、密かな自慢です♪
80年代、若貴ブームはまだ先、兄弟が十両に上がる前でしたから、もちろんスモウ女子なんて言葉はなく、スキー合宿でみんなが寛いでいるなか、相撲中継に熱くなっている私は周囲から変わり者扱いされていました(笑)。
一時は不祥事のニュースで残念だった角界ですが、ここ最近は大入り続きで人気も盛り返しているようですね。
私自身はずいぶん大相撲観戦から足が遠のいています。炎鵬関を応援しに久々に初場所を観に行きたいけれど、チケット取れないだろうなぁ。
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